凛太郎物語


vol.17 「それはあっという間のできごとだった」


 2003年の年末から2004年のお正月にかけて、桃ちゃんの家に桃ちゃん一族が集合する時、 ボクも呼んでもらうことになった。桃ちゃんのお母さんのプリンちゃん、桃ちゃんのお姉さんの桜ちゃんと妹のマリンちゃんがやってくる。オトコノコはボクだ けらしい。
 桃ちゃんのニンゲンのお母さんとボクのかあちゃんは「お正月は凛のハーレムやな」と 喋って笑っていた。ハーレムが何のことかボクにはわからない。

 最初は年末、かあちゃんがつきたてのお餅をご馳走になるのに桃ちゃんの家にボクも連れていってもらったら、桜ちゃんが来ていた。初めて会う、桃ちゃんと ボクのママと姉さんワン以外のオンナノコワン。
 桜ちゃんはクリーム色のワン。毛がとても細い。ボクは桜ちゃんが気になってしょうがなかった。ボクは桃ちゃんを忘れて、桜ちゃんを追い掛け回してしまっ た。桜ちゃんはボクが恐いのか逃げた。でもだんだん慣れてきて、少しはボクの相手もしてくれるようになった。

 少し慣れてくると、ボクはマウンティングがしたくなる。オンナノコワンに限らず、ボクはボクのパパワンやママワン、姉さんワンにもいつもしかけるが、大 抵はみんなにマウンティングされる羽目になる。ボクは向こう見ずなんだろうか。
 この日、大きな声では言えないけれど、ボクは初体験をした。かあちゃんはびっくりして「あっ」っと言った。かあちゃんの「あっ」は怒られる前によく聞く ので、ボクはまたワルイコとをしてしまったのだと反射的に思った。ボクのオチンチンがいっぱい出て、床にオシッコでない何かがこぼれた。オチンチンはひっ こまない。かあちゃんがオロオロしている。桃ちゃんのお母さんが「大丈夫や、そのうちひっこむ」とにこやかに言ってくれた。かあちゃんが安心したのがわ かったので、ボクもなんだか安心した。

 そしてお正月、プリンママやマリンちゃんとも初対面となる日。ボクとかあちゃんが桃ちゃんの家に行った。桜ちゃん、マリンちゃん、桃ちゃんが庭にいた。 プリンママはそこにはいなかったけど、大きな声が聞こえていた。

 ボクはただ嬉しかった。ボクと一緒のワンがいっぱい。オンナノコのニオイだ。マリンちゃんは薄いグリーンのような毛並み。でも、桃ちゃんと遊ぶようなわ けにはいかない。みんなボクを恐がっているのだろうか。ボクは相手をして欲しいから追いかけるのだけど、桜ちゃんもマリンちゃんも逃げる。

 そんなところにプリンママがニンゲンのお母さんに抱かれて登場。ボクは何も考えていなかった。かあちゃんたちは喋っていた。お母さんの手から降りたプリ ンママ。プリンママがボクに近づいてきた。次の瞬間ボクはキャウンと言って逃げ出した。

 かあちゃんたちは何が起こったのかとボクを見た。ボクは恐かった。尾を巻き込んでしまった。そんな情けないボクをみんなが見ている。穴があったら入りた い!
 プリンママはすぐにニンゲンのお母さんに抱かれた。ちょっとそれで安心したけど、それはあっという間の出来事だった。

 ボクの出会いのすべて、パパワン、ママワン、姉さんワン、桃ちゃん、桜ちゃん、マリンちゃんたちとは攻撃というパターンがなかった。初めて体験する威嚇 なしの攻撃。出会うワン全てが友好的でないということを初めて知った瞬間だった。
 ニンゲン界もそうなんだろうか。ボクのアタマをふっとそんなことをよぎった。

 かあちゃんはボクの深遠なる気付きも知らないで「凛のハーレムは3秒で終わったな」と高らかに笑っていた。

 ヒトの気も知らないで、かあちゃんはいい気なものだ とボクはつくづく思った。



vol.16 「犬と寝る」


 ワンと一緒に寝る、一つ布団で共に寝るということは、ワンの参考書では禁止事項の一つに挙げられている。なぜなら、どちらがボスかわからなくらるので、 躾上好ましくないということである。

 青山の冬は寒い。初めて青山の冬を体験した2002年、ニンゲンの私は、顔が寒くて目が覚める経験をした。
 青山に来る前に私が暮らした京都市や滋賀県の大津市での秋や晩秋は、ここではすでに初冬、あるいは冬という体感温度になる。
 そして2003年、初めての冬を迎える愛犬凛太郎は4ヶ月と少しの子犬で体重はまだ3キロに満たない。

 10月のある日、凛太郎は、お座りをして短い前足を踏ん張ってぶるぶると震えていた。 目は一心に何かを訴えるようにこちらを凝視している。
 目と目が合う。犬の目とニンゲンの目が、がっちりと合う。私一人ならストーブもつけず、着こんで寒さをしのぐのだが、小さなワンが震え、そして一心に私 を見つめるの姿を目にしたら、暖かくしてやらずにはいられない。家計簿を見たら2003年10月8日、私はその日に灯油を買いに行っていた。
 節約に励む私が、ワンのためにストーブをつけることを当たり前のようにできるという変化。そして、その夜から参考書は無視して一緒に寝た。何しろ青山で は、ミニュチュア・ダックスのスムースヘアードが、昔は寒さで死んだという話を動物のお医者さんから聞いているのだ。凛太郎のようなロングヘアードは大丈 夫だ ろうとは言ってくれていたが。寒さに弱いのは確かだろう。

 初めてベッドに凛太郎を置いた。途端に、めちゃくちゃ嬉しそうに飛び跳ねた。ニンゲンのトランポリン遊び初体験のごとく飛んでいる。ベッドの端から端ま で飛び跳ねている。それほどに嬉しいのか。ワンが相手でも嬉しそうにしてくれるとなんだかこっちも嬉しい。その様子をしばらく眺めていたが人間も寒くなっ てきた。
 「一緒に寝よ」と言ってベッドに入ったら、凛は感謝のしるしかどうかはわからないが、唇をベロベロと舐めにきた。感謝されすぎるのは閉口ものである。
 でも、せっかくのワンの好意。無下におしやるのも悪いかと思い、「ありがとう、おしまい」と言って布団の中におしやる。相手は小さいから、共に寝るワタ シはか なり緊張。押しつぶさないだろうか、ものすごく心配。結局その夜は気を使い熟睡は出来なかった。
 いやそれは嘘だ。熟睡していた。夜中に何かシャカシャカというモノ音が聞こえてきたのだ。シャカシャカカサカサシャカシャカ。いつまでも続いて聞こえて くるので目が醒めた。音の出所を確認するべく電気をつけたら、凛がベッドの周りをくるくると回っていたのだった。拾い上げ、ごめんなーと言って抱いた。
 どうも 突き落としたらしい。いやはや、心配していると言いながら、していることは大違い。

 しかし、なんという気持ち良さだろう。共に寝る感触は、パジャマの上からでも、絹かカシミヤかビロードかベルベッドかフリースかアクリルのマイヤー毛布 か。例えが、だんだん庶民的になってきたというか、生活レベルを伺わせるというか、とにもかくにも何とも言えずに気持ちよく、そしてほどよく暖かい。

 その夜から凛太郎はワタシの炬燵になってしまった。凛太郎が寒さをしのぐというよりも私が凛太郎を離したくなくなった。

 犬の参考書なんかクソクラエ。ワンと寝るのがニンゲンにとってこれほど気持ちいいとは。

 しかし翌朝、私が伸びをして欠伸をしていたら、いきなり欠伸の口の中に凛太郎の鼻面がすっぽり。瞬時に、はっきりと目が覚めた。

 な、なにすんねん。

 そういうビックリする事体はままあったが、結局その冬は電機アンカも使用せず、凛太郎が私のアンカとなったのであった。




vol.15 「桃ちゃんとヨモギ大福」


 ボク凛太郎のガールフレンドの桃ちゃんは、ニンゲンのお父さんとお母さんとお婆ちゃんの 四人暮らしです。

   ある日、お母さんがお客さんにヨモギ大福3つと沖縄土産の黒砂糖をまぶしたピーナッツと丹波黒豆納豆を出しました。お母さんは、テーブルにそれを置いた まま出掛けました。お婆ちゃんはゲートボールに行って留守でした。桃ちゃんは一人留守番。

 お母さんが帰ってきたら、テーブルの上のお菓子は、お皿以外全て無くなっていました。お婆ちゃんはゲートボールから帰ってきて、疲れて寝ていたので晩ご 飯を食べませんでした。だから、お菓子はお婆ちゃんが食べたのかもしれません。

 お父さんとお母さんの目には、ももちゃんが大福3つ分ほど、いっぺんに太って見えたので、その日は、桃ちゃんに晩ご飯をあげませんでした。

 翌日、ボクがかあちゃんと一緒に遊び行きました。桃ちゃんのお母さんが、かあちゃんに「桃 太ったように見えへん?」と聞きました。
 ほとんど毎日のように、桃ちゃんに会っているボクのかあちゃんの目にも、桃ちゃんは太っているように見えました。

 お皿のピーナツと黒豆を食ったのは、桃ちゃんみたいです。お母さんがお皿を洗ったら、お皿がねばねばしていたそうですから。でも、大福を食ったのがお婆 ちゃんか、桃ちゃんかは謎のままです。お母さんはお婆ちゃんに、まだ聞けていないそうです。

 ボクは桃ちゃんに「桃ちゃんが大福食べたん?それはどんな味?」と聞いてみたかったのですが、いつものように遊び始めたのですぐにそのことは忘れてしま いました。

 桃ちゃんとヨモギ大福事件は謎のままです。お婆ちゃんも食べてないというのが後で分かりましたから。でも、よもぎ大福はラップで包んであったそうですか ら、桃ちゃんが食べたとしたら、どうしてラップを外せたのか。女の一念岩をも通す、基ラップも外すのでしょうか。。。
 できることなら、ボクもラップの外し方は知っておきたい。。。




vol.14 「保護者模様」


 桃ちゃんと凛太郎が興奮して遊んでいると、桃ちゃんのお父さんは「ケンカしんとき」と2匹にコトバを投げかける。どうも、お父さんには桃ちゃんがいじめ られているように見えるようだ。
 桃ちゃんのお母さんは、そう言うお父さんに「遊んでるだけや」と言われる。

 確かに2匹の声も姿もケンカしているようにも聞こえ、見える。そして、凛太郎は桃ちゃんにマウンティングを試みたりするので、それもお父さんには気に入 らないのかもしれない。

 桃ちゃんのお母さんは平気で見ていてくれるけど、お父さんの顔つきが変わるのを継母は見逃さなかった。

 桃ちゃんはお母さん子なのか、お母さんが留守の時に遊びに行ったら、借りてきた猫のようにものすごく大人しい。まるで凛太郎が一人で桃ちゃんをやっつけ て、いじめているようにも見えなくはない。
 お母さんがいると、凛太郎と桃ちゃんは互角で、後半はいつも凛太郎の形勢がはなはだ危うい。むしろ桃ちゃんが優勢。でも、お父さんは、凛太郎をやっつけ ているような強い桃ちゃんの姿を知らない。お母さんも借りてきた猫状態の桃ちゃんを知らない。

 知っているのは継母と凛太郎。
 桃ちゃんが、飼い主の誰をボスだと決めているか、どうもお母さんが桃ちゃんのボスのようだ。

 ある日、遊びにいったらお母さんは留守だった。お父さんが「遊んだって」と桃ちゃんを庭に連れてきてくれたけど、桃ちゃんは「借りてきた猫」になってし まった。お父さんはしばらく家の中。次に出てこられた時に、凛太郎がちょうどマウンティングを試みていた。お父さんの顔が変わった。継母は何故か恥ずかし かった。お父さんは桃ちゃんを抱き上げ、サイナラも言わないで家の中に入ってしまわれた。

 後日、お母さんが「お父さんいうたら、子どもができたらどうするんやって言うてるねん」とカラカラと笑われた。それを聞いたワタシも大口を開けてガハハ と爆笑した。2匹とも4か月と少しのころのことだ。

 お父さんは桃ちゃんがオンナノコなので心配でならないようだ。桃ちゃんのお父さんも、かなりの親ばかさんかも。 (^^)



vol.13「凛太郎にガールフレンドができた!」


 凛太郎にガールフレンドができた。その名は桃ちゃん。凛太郎より8日早く生まれた少しだけお姉さんのワン。同じ地区(都市では町内と言います)にいま す。

 桃ちゃんもミニュチュア・ダックスでレッドのロングヘアード(毛色がレッドで長い毛)。凛太郎と一緒です。桃ちゃんの額には、一筋濃い茶色の毛が縦に走 り、ベッカム選手のようだとご近所では評判。
 評判だけは聞いていましたが、出会ったのはお互いに3ヶ月も過ぎ、予防接種も終わり、お散歩解禁になってからでした。

 どうやら互いに一目で好感を持ったようで、友達ワンになったみたいです。

 2匹の遊び場所は桃ちゃんの家の庭です。追いかけっこをし、じゃれては交互にお腹を見せて、犬社会のルールの参ったをし、また追いかけっこを繰り返す。 1匹だけをみているのではなく、犬同士が遊んでいる風景を見ているというのもいいものだなーと思いました。

 そんなある日のこと。いつものように桃ちゃんの家の庭で仲良く遊んだ2匹は喉が乾いたようでした。
 庭の水鉢に、そろって短い後ろ足で立ち、胴を伸ばし、水鉢の端にやっぱり短い手をかけて、アタマを突っ込んで水を飲んでいました。2匹が2匹とも同じ格 好で水を飲む姿は、それだけでなんとなく絵になるように思えました。
 その後姿を見て、それぞれのボスは、ほのぼのとしたココロモチになりました。

 ところで、桃ちゃんは高いところから平気で飛び降ります。桃ちゃんのお母さんから聞いた話では、わずか3ヶ月の時に、軽トラックの荷台から飛び降りたと いうことです。運動神経抜群のお転婆桃ちゃん。
 凛太郎は、2ヶ月と少しの時、写真撮影のために乗せていたテーブルから落ちたのが心の傷になっているのか、高いところが苦手です。

 少し話はそれますが、写真を撮りたいがために凛太郎を乗せたテーブルは、高さ80センチ。まさかテーブルから、飛び降りるとは思っていない継母。凛を乗 せたまま、デジタルカメラを触っていました。凛はテーブルの端に足をかけ、下をじっ と見ていました。そして次の瞬間、落ちていました。
 実際は落ちたのか飛び降りたのかは定かではないのです(歩けるようになった時から顔がデカイので、アタマからこけていたそうです。この時もアタマの重さ で、飛び降りるつもりはなかったのに、落ちたのかもしれません)。
 結果としてギャインと地面に落下。そして何故か、次の瞬間脱兎のごとく逃げるように前方に走り出しました。
 そういうことがあったためかどうかはわかりませんが、高いところからはよう降りません。またよう上りません。

 さて、話しを戻します。
 2匹で遊んでいる時、行きついたところが50センチほどの高さの石の上。桃ちゃんは平気で飛び降りて地面に着地。そこから降りられない凛太郎は立ち往 生。凛太郎は、ワンワンと鳴き、どうも桃ちゃんに「こっちに戻ってきて」とでも言っていたようです。
 凛太郎の懇願を聞いてか、やがて桃ちゃんが石に飛び乗って戻ってきてくれました。そして2匹は、また遊び始めました。
 ほとんど同じ大きさの2匹のミニュチュア・ダックス、遊んでいる姿はとてもかわいらしく、見ているニンゲンをほんわかさせてくれます。
 凛太郎だけでも見ていて飽きませんけど。2匹だと、またチガウものがあるということを知りました。

  良かったね、凛太郎。お友達ができて。かあちゃんは、とっても嬉しい (^^)


vol.12「ワンと一緒のハイキング」


 一人と一匹の散歩主導権闘争はボスの勝利で終わったかに見えた。

 少しは散歩らしくなった2003年10月のある日、ボスは突然、凛太郎を伴いハイキングに出かけた。目指すは名張市赤目四十八滝。

 一度行ってみたいと、かねがね思っていた赤目四十八滝は観光名所でもあり、紅葉の季節はそれはそれは美しいらしい。出かけた日は、まだ紅葉には遠い10 月の平日。ワンを伴うボスも凛も散歩初心者みたいなもんだから、人の少ない方がいい。
 今では車にも慣れた凛太郎を助手席に乗せて、簡単手作りお弁当と凛太郎の食器、水、ボスのコーヒーなんかをリュックに詰めて出発。

 入山所で、犬も一緒に入って大丈夫かと聞いたら、リードを付けていたらOKの返事。ダメモトで出かけたのだが、良かった。

 どこまで歩くか目標を決めず、透き通った美しい川の水を感嘆の声で眺め、滝と岩を愛で、川沿いの木々の中を一人と一匹は行く。
 途中何度か川辺で休憩もし、凛太郎の短い足では登れない階段や、じゅくじゅくの地面の所は抱いて歩いたりもしたが、往復コースの最後の岩窟滝まで行って しまった。
 岩窟滝の滝壷近くの岩で、2匹は仲良くマイナスイオンシャワーをたっぷり浴び、ともに水分補給もし、お弁当の残りを分け合って食べ、なんとなく良い気 分。
 結局6.4キロを歩いた。凛太郎もほぼ歩いた。すごいぞ。5ヶ月に満たない子犬にひどいことしたんやろかと一抹の不安と後悔も少々だが、凛太郎は途中足 を痛めたボスを気遣うという面も見せた。
 リードを引っ張るということもせず、適度なたわみを作り、足が痛いと言うボスをちらちらと振り返りながら進むのだ。ボスは感激。犬というのは主人を気遣 うものなのか。この辺が猫とは違うのかもしれない。

 ところで、この日の道中、道行く人に 凛太郎は「かわいい」「かわいい」と声をかけられ、愛でられていた。
 休憩中に遠くから凛太郎を撮ったお兄さんが、事後であったが「写真撮影をしたので」と良心的な報告をしてくれた。当然予想されることだが、撮影は凛太郎 だけであった。

 犬もニンゲンも可愛い方が得なんだなー と俗なことを思った日でもあった。
 
 この日を境に凛太郎は散歩好きの犬に変身した。散歩というコトバに反応するとともに、散歩に行きたいというような意思表示もする。
 ボスは勝ったのか負けたのか。その後、散歩を余儀なくされている毎日である。


vol.11 「散歩教育」


 お散歩デビューから数日、ボスは凛太郎が散歩を嫌いにならないように、無理強いをしてはいけないと思い、リードを無理に引っ張ったりはしなかった。
 凛太郎は最初の日と変わらず、座ったり、べちょーっと腹ばいになったりして、ちぃとも歩かない。凛太郎との散歩を楽しいものと勝手に期待していたボスの ルンルン気分は、日ごとに萎んでいった。
 散歩の往路は、なかなか歩かないので、気の短いボスは抱いていくようになった。「ほな、家に帰ろ」というコトバはわかるようで、復路は先に立って家を目 指して歩く。この時、ボスは気がついていなかったが、散歩の主導権は凛太郎に握られていたのであった。

 凛太郎が実家に帰った時、散歩が嫌いなようだ と爺ちゃんに報告した。パパワンも散歩が嫌いなんだそうだ。実家を後にする時、人間のお母さんと爺ちゃん が、ママワンと姉さんワンの散歩の見本を見せてくれた。
 凛太郎は相変わらず、途中で座ったりして、キリッとした目をこちらに向け、なんだかわからないけれど意思表明をして動かなくなる。見かねた爺ちゃんが、 凛太郎のリードを手に取った。
 爺ちゃんは強引に、ズズーーーっと引っ張る。傍で見ていた継母は「そんな かわいそう」「あんまりキツイことせんといて」 と、馬鹿親ぶりを発揮してぶ つぶつぶつぶつ。
 爺ちゃんは、かまわず ズズズーーーっと引っ張る。凛太郎は精一杯抵抗して、爺ちゃんに反抗していた。
 ワンはニンゲンの左側を歩かす、ニンゲンより先には行かせない とか 散歩指導の基本があることを教えてもらって帰ってきた。

 一夜明けて、翌日の散歩の時間、きのうの「かわいそう」と言った唇も乾かぬうちに、そうつぶやいた事も決して忘れてはいなかったが、ボスのとっても厳し い散歩指導が始まった。
 凛はいつものように、べちょっと腹ばいになって「イヤや 動かん。そっちには行きとうない」とでも言いたげな目をこちらに向けている。また、その目がキ リッとして何とも言えなくエエのだけど。ここで馬鹿親になってはいけないとばかりに ぐいーーーっ と引っ張る。半ば宙吊り。
 「さ いこ」と声をかけるも、またしてもべちょー。反抗的。今度はズズズズーーっとしっかり宙吊り。空中遊泳的散歩。

 ボスは、瞬間 すばやく辺りを見まわす。やることはエゲツナイが、内心ドキドキもので、人目も気にしていたのだ。

ボスのココロ 
「誰が見ても これは動物虐待に見えるやろな。ああ 誰も見てはらへんでよかった。」

凛のココロ
「きのうの爺ちゃんの方がよっぽどマシや。ほんまに継母(かあ)ちゃんは、することがえげつない。こうなったらあきらめなしゃないな。そやけど、エゲツナ イことしはるわりには気ぃ小さいな。あたり見まわしてばっかりいはる。ひひひ もうちょっと反抗したろ。」

ボスのココロ
「ほんまに 一回引っ張るごとにヒヤヒヤして、あたりをみまわすのは かなわんな。はよちゃんと歩いてくれたら こないな思いせんでええのに」

 かくして、一人と1匹の戦いは続くのである。

vol.10 「凛太郎実家に帰る」


 9月28日、凛太郎 満4ヶ月のその日、実家に帰った。美人の父ちゃん、男らしくて凛々しい母ちゃん、1年と数ヶ月年上の楚々とした美人の姉ちゃん、ニ ンゲンの爺ちゃんファミリーと久々の対面だった。

 爺ちゃんは、凛がみんなのことを忘れていないか、みんなが凛のことを忘れていないかを少し心配してくれたが、杞憂に過ぎたようだった。ワンファミリーは すぐに交じり合って遊び始めた。ミニュチュア・ダックスフンドが4頭というのは、なかなか壮観。みんなじっとしていないので、じっと見ていたら目が回ると いう観もある。

 では、凛ファミリーの紹介をしてみよう。

 ママワンは、初対面では凛々しく男らしいと感じたが、それは産後の仔を守る姿だったようで、実はかなりの美形だということがわかった。
 細面のとても可愛らしいワンだ。2回目の対面のこの日、最初は人見知りをしていたのか、警戒していたのか、よく吠えた。
 「ワタシが凛太郎を育てています」という挨拶に反応したわけでもないだろうが、時間がたつと傍に寄り添うようにお座りをしてくれた。

 このママワンは「可愛い」という言葉に反応するみたいだ。ニンゲンの「可愛い」という声に「ソレワタシノコト?ワタシノコトデショ。ワタシカワイイ?」 と愛くるしい瞳で見上げる。仰向けに寝て、お化けの手をして、お腹を出して 「ワタシノオナカナデテ、ナデテ」と言っているようだった。そして、それは ちょっとばっかし、しつこかった。

 姉さんワンは、この前とまた雰囲気が変わっていた。1年と数ヶ月では、もう成犬かとも思うのだが、ミニュチュア・ダックスでは、まだ様子が変わることが あるらしい。
 姉さんは、ニンゲンに例えて言えば、宝塚出身の女優、涼風真世さんのような切れ長の涼しい目だ。控え目な感じも漂う。おまけに美しいソバージュヘアの耳 は、あんまりキレイなので、見ているだけでうっとりする。
 犬にうっとりするなんて思いもかけなかったことだが、本当にうっとり見惚れる。
 この姉さんワンは、パパワンとママワンの最初の子供で、犬の世界ではよくあることらしいけど、ちょっとばっかしお馬鹿だそうだ。でも、そこがまた可愛ら しいということだ。
 姉さんの頭の真中の毛が少し立っていて、そこの毛が立っている間は、まだ毛の様子が変わる可能性があるらしい。次に会うのが また楽しみだ。

 この日、美人のお父さんをゆっくり観察できなかったが、凛太郎はパパワンの仔犬時代にそっくりだそうだ。お父さんも美人ワンなので、凛の将来もなかなか 楽しみだと、何を見ても聞いても、近ごろでは親馬鹿反応しかしないボスはココロの中で思うのだった。

 それにしても かなり華麗なる一族だわん。

 人間のお母さんに、一族の仔犬時代からの写真を見せてもらった。
 ミニュチュア・ダックスというのは生まれてすぐの頃は、お世辞にもカワイイとは言いがたく、むしろ大変ぶさいくで面白いカオをしている。
 どうしてこの犬の耳が長く、大きくなり、カオがとんがり、胴が長くなるのか不思議だと思えるような仔犬時代を経て、日に日にダックスらしくなっていく。

 ボスは、日ごろの育児の悩みを相談をしてみた。凛太郎は落ちているものは何でも口に入れる悪食で、近頃はナイロン袋のごみ箱を漁るという行為をする。
 実家のワンも同じだそうだ。この家ではニンゲンのお姉さんに「生きたゾーキン」と呼ばれていた。こぼれたモノを舐めて、床をキレイにするから。
 ダックスはブランド犬だから、最初高級品というイメージがあり、犬育て初心者の私は、拾い食いなんかしないと勝手に思っていたが、犬なのだから、するこ とはみな同じみたいだ。

 悪い子の時、いい子の時、一緒に暮らすといろいろあるが、雑種犬もペットショップの高級ブランドワンも、飼う人にとってはきっと「私のワンは世界一」に なるんだと思う。

 もちろん、私の凛も 今や私の世界一(^^) 

vol.9 「凛太郎から爺ちゃんへ」


 今日、ボクは初めて継母(かあ)ちゃんに外の世界に連れ出されました。ボクは別に庭だけでもよかったんやけど、リードたらいうもんつけられ、無理やり 引っ張り出されたようなもんです。

 それでも、ちょっとは興味があったので、座ったり、べちょっと腹ばいになったりして、かあちゃんを困らせながら、ゆるゆると急な勾配の私道を降りていき ました。でも、その私道を降りきらないうちに、ワンワンと小うるさい白いワンが走ってきました。

 いつもうるさく吠えている裏の別荘のワンのようです。そのご主人が、少し遠くから、かあちゃんに「抱いて」と言いました。かあちゃんは素早くボクを抱き 上げました。白いワンはかあちゃんの足にまとわりつき、ボクに向かって吠えたてました。  ボクは初めての経験だったけど何も怖くありません。この世で一番コワイのは怒ったかあちゃんですから。

 別荘のご主人は、「吠えヘンし ええこやなぁ」とボクに言って、アタマを撫でてくれました。
 かあちゃんは「今日が初めての散歩なんです。震えていませんし大丈夫です」などと立派に社交挨拶をしていました。ボクは狂暴で粗雑なかあちゃんにも、こ んな一面があるのかと驚いて眺めていました。あっ、でも、かあちゃんは優しいところもあります。と一応言っておきます。

 かあちゃんはボクを抱いたまま、しゃがんで白いワンを抑えにかかりました。別荘のご主人は、その間にワンを捕らえようとしなかったので、かあちゃんは面 倒くさくなったのか、立ちあがってしまいました。
 吠え続ける白いワンを、別荘のご主人が取り押さえようとしてもつかまりません。その様子を見ていたかあちゃんは、大きな声で笑い出しました。ボクはええ のんかなぁと思ってしまいました。

 別荘のご主人は、もう1回ボクに「ええこやなぁ」と言って、やっと捕まえた白いワンを抱いて帰ってゆきました。

 かあちゃんは家に帰ってから僕の耳元で「あんた ちょっとくらい吠えたらええんやで」と言いました。
 いつもは吠えたら怒るくせに、ボクはどうしたらいいでんしょう? 爺ちゃん。

追伸
 この前の首締まり事件に懲りたのか、あのやたらに重い不愉快な首輪から軽いのに変わっていました。紐付き首輪たら言うもんらしいです。
 母ちゃんは僕の抵抗に、きっと負けたと思います。ひひひ。



vol.8 凛太郎首締り事件


 凛太郎がやってくる前に、ボスは100円ショップで、ワングッズを仕入れていた。 そんな中に首輪もあった。今風に言うとカラーとかいうんだそうだ。
 その首輪を、2ヶ月に満たない凛太郎にはめてみた。この時、凛太郎は幼さゆえか何の抵抗もしなかった。しかし、首輪は大きすぎた。そのうち穴を開けよう と、100円グッズでも無駄にしないボスなのだが。

 3ヶ月を前にした頃、来るべくお散歩デビューのために、凛太郎に首輪をはめてみることにした。

 ここで、話はそれるが、実は凛太郎は幼児性湿疹というのが体のあちこちにでき、首にもできていたので、首輪に慣らすことを先延ばしにしていた。  
 この湿疹を診てもらうために、動物のお医者さんに行ったら「この仔は自分がありますね」ということだった。自己主張をはっきりするということらしい。そ ういえば、2ヶ月を過ぎた頃からキュイーンという甘え声で要求が満たされないと見ると、エラソウにウーと唸ったり、ワンワンと吠えたり鳴き方を変えてい た。ボスは大人気ないので、唸ったり、吠えたりされるとムッとくる。
 でも、動物のお医者さんの前では、やんちゃでエラソウな態度は微塵もなく、ぶるぶる震えてボスにしがみつく。これまで見たことのない殊勝な態度が面白く て、お医者さんを前にして、こらえきれずに笑い出してしまった。

 話を戻そう。首輪をはめるのは難儀な仕事になった。凛は激しく抵抗する。噛む噛む。ボスはあきらめず、仕事をやり遂げようとする。時々、不思議なほど几 帳面になるという性癖のあるボスは、この時、めったに訪れない几帳面モードになっていた。
 穴をきっちり開けなければならない観念に凝り固まり、どうしても凛の首周りをしっかり確かめたかった。今考えると、適当に穴を開けたら済むことだったの だが、この時は思いつかなかった。

 ベルト通しさえままならない、噛まれっぱなしの状態で、なにくそと夢中になっていたのだろう。なんとか金具に首輪の端を入れると、その端っこを抵抗著し い凛が ハッシとくわえた。そして、引っ張った。
 ミニュチュア・ダックスは小さくてもはっきり顔が長い。その長い顔が災いしたのか。ベルトは締まる。

 人間でいえば、ウエストのベルト通しにもう一方の端を通して、穴に留め金を入れないで、強く引っ張ると腰が限りなく締まる。それが、凛の首で行われた。 自ら首を締めておったようだ。

 すぐに、そうとは気がつかなかったボス。やっと端を通せたので、ほっとして凛から手を放し、一瞬目も離していた。
 目を戻すと、凛は右手を空に突き出し、左手を胸の辺りに曲げている。でも、手が短いので、その手も空にある。そして口にはしっかりと首輪の端をくわえ、 やや白目が出ていた。そして固まっておる。フリーズ。

 ん? なんでじっとしているんや?遊んでるのとちゃう???

 一瞬の間の後、ボスの頭の中に警鐘が鳴り響いた。首が締まっている。

 凛の口をこじ開けようとするも口を開けない。小さいくせに結構噛む力はすごい。白目をむいて、身動きしないのか、できないのかはわからないが、歯だけは しっかり噛み締めて。
 コイツあほやと思いつつも、ボスは慌てている。しっかり閉じた口をこじ開け、やっと端を放させ、首輪を弛めた。ふぅーー。

 そして、そのままダボダボの首輪を適当にはめてしまった。とってもイヤなものをつけられてしまったらしい凛は、お尻を向けて首を激しく掻く、そして振り 返っては、恨みがましく、非難を込めた目でジトっと見る。凛はハッキリと目でモノを言った。コイツ自分がある。
 あんまり何回も繰り返すので、根負けしたボス。せっかく苦労してはめた首輪をはずし、大きな溜め息をついたのだった。
 くそ 負けてしまった。ボスに弱気は禁物だ。


vol.7


 凛太郎は、噛むのが好きで、好きで、好きでたまらん。とにかく噛みたい。噛んだものは口に入れる。ダンボールも食べる。目が離せない。ちょっと辟易気味 でお疲れのボス。

 ある日、ボスは凛の傍で寝転がっていた。凛はルンルンして(いるように見えた)ボスの顔を目指して、一直線に嬉しそうにやってくる。噛むのかと思って、 一瞬ドキッとしたボスだが、それは、なんともたまらん唇ベロベロベロベロ攻撃であった。
 このワンの行動は「あんさんボスやと認めまっせ」という行為だそうだ。こうしてボスは、自他ともに認めるボスとなれた。

 ボスは、どうしたら、凛の好きな噛み遊びを満喫させてやれるのだろうかと考えた。
 犬の参考書にはタオルの引っ張り合いをして遊ぶとか書いてある。が、凛はタオルを持っている手の方を噛みに来る。
 人間の手の噛みごこちの方がいいのだろうか。あるいは、タオルを持っている手を噛んだ方が手っ取り早くタオルを自分のものに出来るという知恵か。手の動 きがワンを刺激するのか。ナマの手を噛みにくる。噛み足らないと、サークルをいつまでもガシガシと噛んでいる。

 ボスは、皮手袋でワンと格闘という暴挙に出た。爺ちゃんに報告したら「それはあんまりようない」と。確かによくなかった。素手にもますます噛みにくる。 どうも凛には「動く手」が「おもちゃ」そのもののようだ。

 ある日、爺ちゃんに「凛が噛んでしょうがない」と告げると、爺ちゃんは何を思ったか「犬風船」という遊びを教えてくれた。人間が、犬の口をパクッと優し く噛み、鼻に息を入れる。そうするとリスみたいに、犬のほっぺがふくらむそうだ。
 好奇心いっぱいのボスは、たまたま酔っていたので、早速やってみた。犬の鼻面を口の中に入れるという、シラフでは多分なかなか越えられない一線を軽く越 えてしまった。面白い。でも、凛はまだ小さいので、ほっぺが膨らむ様子は見えない。凛は遊んでもらっていると思い、ベロベロと舐めてくる。そしてボスの唇 をガブ。手もガブ。子犬は手加減がない。しっかり痛い。
 怒ったボスは、酔っ払いの勢いで、目には目、歯には歯で、大人気なく、2ヶ月と少しの凛の手と口をちょっと強めにガブ。犬を噛む。一線もニ線も越えた。 凛はキャイン。

 勝った。とボスはほくそえんだ。そして、もう噛まないだろうとなぜか思った。でもそれは、大きな大きな間違いだった。
 凛は、ますます遊びだと誤解している模様。噛み合いのスキンシップが嬉しいらしい。ニンゲンではなく、犬と勘違いされているような気がしてきた。

 ある日、動物のお医者さんに「噛んでかなんのです。唇は舐めに来るのでボスとは認めていると思いますけど」と言ったら、お医者さんは「普通は、ボスと認 めていたら噛まないのですけどねぇ」という返事。
 言えなかった。ニンゲンも、犬の口や手を噛んでいますとは。
 犬を噛むという一線を越えたのは、爺ちゃんの教えてくれた「犬風船」がきっかけ。心の中で爺ちゃんが悪いとつぶやいていたボス。

 ちなみに、噛みグセのある犬は引っ張り合いの遊びは厳禁で、引っ張り合いは、ますます噛みグセを助長させるだけだとも教えてもらった。犬の参考書には、 こういう大事なことは書いてない。

 しかし、犬を噛むという一線を越えてしまったら、これはこれで、なんか面白い。ワンがワルイコになった時、ガブリと噛むのは、ボス犬になりきったような 気がする。

 参考書に書いてある躾では聞いてくれない。床を叩いて大きな音を出そうが、大きな声で叱りつけようが、恐ろしい目で睨み付けようが、こと噛むことに関し ては、凛には聞く耳がない。ボス犬は噛んだら噛み返すを繰り返した。

 最初のうちは、遊びだと思っていた凛。ニンゲンのボスも、これでええんやろかと自戒する時もあった。こんなことをしているから、いつまでたっても噛むの を止めないのだろうかと。が、痛い目に会うほどに、凛は利口になってきた。

 凛が誤ってボスの唇を噛むと、ボスは凛の頭のカワを噛むのだ。キャュイーン。こうして凛は、だんだんじゃれ噛みの許される強度を知るようになる。

 カラダで覚えさすのが一番じゃ と迷いの吹き飛んだボスは確信するのであった。と書きつつ動物愛護協会からは、虐待と怒られるんかなーと一抹の不安がな いでもない。

vol.6


 凛太郎はヨタヨタと歩く。赤ちゃんなんだけど、爺さんみたいな歩き方。カラダの左右が上下動する。
 引っ越し当日は疲れていたせいもあったのだろう。行動範囲はごくわずかだった。そして歩きにくそうだった。翌日、少し庭に出した。一人と一匹で日向ぼっ こ。のどかだ。
 おっかなびっくりで、庭を少しだけ歩く凛。あれ?ちゃんと歩けている。

 ボスはふと思い出した。肉球の間の毛もカットしてやる と参考書に書いてあったことを。
 家に入って、凛の足の裏を見た。わはは。毛糸の靴下になっている。肉球の間から毛がはみ出し、ほとんどの肉球を覆っていた。これでは滑るだろう。歩き方 が変なのはこれが原因だったのか。
 我が家の台所兼居間はボスでさえ滑るフローリング。その床で、毛糸の靴下を履いたままの凛太郎は、人間に例えたら、初めてのアイススケートみたいなもん だったに違いない。滑る、滑る、止まりたくても止まれない。

 歩くだけで滑る。きっと本人にはどうしよもない結果なのだろうが、四肢を前後にフニャーと伸ばしきって滑ってしまう。なんとも笑える。足が短いだけに可 愛らしい。
 4足で歩くよりも2足を選び、お尻を床につけて、前足だけで前進したりもしていた。

 ボスは、手近にあって安全そうな人間の眉カット鋏で、そっと切ろうと試みたが、うまく切れない。これでは歩きづらいだろうと、翌日には犬用鋏を購入。噛 みたがる凛をなだめてすかして、手を噛まれながらカット。これで大分歩きやすくなったようだ。行動範囲が広がった。

 とはいえ、まだ足腰がしっかりしていないのと、カットの仕方がイマイチだったのか、ヨタヨタと歩いていた。そのヨタヨタ足で、必ずキッチンマットに乗り に来る。キッチンマットを噛んで引っ張っていたかと思うと、とうとう1本噛みきって、その端をひっぱる。
 おーー。キッチンマットがほどけていく。とびっくりしていられない。困ったヤツぢゃ。

 凛太郎のキッチンマット巡回はサークルから出してやるたびに行われた。マットをほどかれたらたまらないので、台所仕事終了後に片付けるようになったが、 マットがなくても巡回は行われる。
 ほどいて遊ぶのだけが目的ではなかったようだ。調理でこぼした野菜屑とか、とにかく落ちているものは何でも口に入れたい。落ちているもの探しも目的だっ たようだ。
 ヌカ味噌をこぼしていたのも食べる。犬って悪食なのか。

 落ちているものは食べるが、キチンとお皿に入れた自分のドッグフードはあまり食べない。お皿から落ちたのは執拗に探して食べる。コイツ几帳面なんやろか  と思ったボス。

 あんまりワンご飯を食べないので、心配性のボスは、落ちたものが好きなら と思い、わざとお皿からドッグフードをこぼしてみた。それは食べるんだなー。 うーむ。

 ある日、ボスが畑からモロッコという豆科の野菜を収穫してきた。それを1本落としていることに気がつかなかった。いつものようにキッチン巡回に来た凛太 郎はそれを見つけた。

 「ええもん みっけ」という雰囲気で、モロッコを咥え、尾をわずかに振りながら、カラダの左右を上下動させ、とことこ、いそいそと自分の座布団に運んで 行く。その姿は、笑い出さずにいられないほど 愛らしくも面白い。
(この頃では オモチャも貰った食べ物も 自分の座布団へ嬉嬉として速歩で運ぶ)

 生野菜なんか食べるのだろうかと思って、様子を見ていたら、歯ごたえが楽しいのか全部食べてしまった。
 ボスは試しにキャベツの芯とピーマン、ダイコン、ニンジンも実験的に与えてみた。ニンジンは気に召さなかったようだが、ピーマンは多いに気に入ったよう である。

 人間の食べるものはあげなくていいと参考書には書いてあったが、喜んでガシガシしている姿を見るとあげたくなるボスの心理。それにダンボールを食べるよ りはいい。座布団に運んで行く姿も見るのが楽しい。
 ボスは葛藤するが、台所で愛らしく上を見上げ、行儀よく座って待つ凛のかわいさに負けるのである。

vol.5


 睡眠不足の夜が明けた日、また今夜も夜鳴きするんだろうかとボスは戦々恐々だった。 その日の夜、ボスは凛太郎に言った。
「お願いやし、明日起きてくるまで 静かにしててや」と。

 ボスは寝起きが非常に悪い。目覚し時計で起こされるのさえ気に入らない種類の人種だ。が、心配の期待は裏切られ、ありがたいことに夜鳴きはなかった。た だの一度も。そして朝、起こすこともなかった。
 なんていい仔なんだろう。起きてきたボスはワンを誉めまくり。
 「あんた賢いなぁ」。

 でも、仔犬が同じことを繰り返してくれると期待するのは、多分間違っている。しかし3日目以後、今日まで夜鳴きもなく、ボスが起きてくるまで静かに待っ ている。夜も朝も静かなのはありがたい。

 けれども、いったんボスが起きたと認識したら可愛い仕草で飛び跳ね、飯くれ 出せ と、要求はいろいろ。お願いモードはクーン、クーンやキューンと鳴く 姿は愛しいとさえ思えるのだが、うぅーワン ワンワンとえらそうに吠えて要求されると、ボスはムっとする。勝手なんだな人間って。
 ボスへの要求で、なかなか願いが満たされないと、小さいカラダでえらそうに大きな声で吠える。けれども来客に対しては、今のところ誰が来ても吠えない。 吠えるどころか、少々震えてさえいる。これはちょっと困ったものかもしれない。

 とうとうボスは凛に頼んだ「誰か来はったら 吠えて教えてや」と。相手は生後2ヶ月と半分なんだけど(^^ゞ。


 しつけってつくづく大変だ。1日や2日で、ワン対応にすっかり疲れたボスは、人間の赤ちゃんはもっと大変なんだと思った。数日後ボスは眩暈に悩むように なる。育児疲れから貧血かと、即効性のあるレバーを食べたが効かない。ボスは貧血のケがあるのだ。
 凛の実家の爺ちゃんは腕のいい操体の先生なので見てもらった。小さなワンを見おろしすぎて首を凝らしたらしい。小石みたいな凝りが点在していたそうだ。 凝りでも眩暈がおこるのだ。

 シッコはちゃんとペットシーツの上でしたかと思えば、次は床の上でするし、ウンチはそれこそ目を離したら いろんなとこでする。ふぅー。でも、じっと様 子を見ていたら、ちゃんとシートの上でするから、ずる賢いのかもしれない。

 ある時、現行犯でシッコ現場発見。参考書には現行犯は怒らないといけないと書いてあった。週刊誌やスリッパで床を叩いて叱る。でも週刊誌もスリッパもな かったので、手で床を叩いたら、肩がジーン。ボスの手と腕と肩がしっかり痛い。怒るのって体力がいる。

 次はウンチの現行犯。ボスがトイレで大きい用を足して出てきたら、ワンもしている。親子で一緒 なんて冗談は言っておれない。思わず「あっ」と叫ぶボス に、背中を弓なりにし、腰を少しあげて(脚が短いので上げているのか、下げているのか、わかりづらい)、すでにモノを出し始め、動きのとれないワンは目だ けボスに向けた。愛らしい黒目に白目ものぞかせ、上目使い。その目は「しもた 見つかってしもた」と言っているように見えた。

 ボスは凛が用を足し終わるのを見計らい、叱るためにひょいと片手で持ち上げた。 スリッパを脱いで床を叩くという方法もあったのだが、それでも手が痛いのは経験済み。ええいままよと、参考書には決してしてはいけないと書いてある体罰を 初めて食らわす。小さなアタマをぺしっ。ちょっと心が疼いた。

 心を疼かしてから思い出した。爺ちゃんはこう言っていた。
 ワンは人間が叱ることに関しては、非常に学習能力に優れ、次に自分がイヤなことをされたら、激しく叱られた方法で復讐する。ウンコ、シッコで怒られた ら、ウンコ、シッコで復讐するから、あまり叱らない方がいいと。ボスは学習能力に欠けている。とほほ。

vol.4


ボスは ある日、車に乗った瞬間に、もわーっと 自分のカラダから犬臭さが 漂い立っているような気がした。
そういえば Tシャツにも あちこちシミが。なんでだろう。

ある時、仔犬のシッコ風景を 何気なく眺めていたら、ペットシーツにオチンチンが接着。
えっ こんなに小さいのに あんあにオチンチンが大きかった?
好奇心は満たす。
シッコを終わった凛太郎を抱き上げて観察。
見ると、オチンチンを包んでいる毛がびよーんと長い。
まるで習字の筆の穂先のようになっている。
その毛が墨汁ならず、シッコをたっぷり含んでいる。

シッコが上手にできたらほめてやる が大事と聞いていた。
シッコをしてすぐに誉めなくては 何を誉められているのかわからないのだそうだ。
従順なボスは聞いた通り、シッコをするなり、シッコつきの凛を軽く抱いて、「よし」と誉めていたので、どうやらTシャツのシミはシッコだ。

オチンチンの毛はとにかくビヨヨ〜ンと長い。
後ろ足を軽く曲げ、腰を少しおろし、その穂先をシーツに触れさせて用をたす。

で、用が終わったら、短い足の毛にも 長い毛がついて シッコまみれ (^^)
その足で耳をかく。耳の毛が汗をかかないはずなのに、汗をかいたみたいになっていたのも、 なんでだろうと思っていたのだが。

これでわかった。みんなシッコ。

ボスはそうとは気付かず、凛のアタマや耳に 頬擦り頬擦り。

床のあちこちにも濡れシミがあって なんでやろーと思っていたが、 原因がわかった。

シッコをしたあと、それを舐めて、その口で ボスの口も舐めにくる。
ちょっとたまらん。慣れたらあきらめの心境。もうどうにでもしてくれ。

最近では汚いもキレイもぶっとんでいる。
人間の赤ちゃんのウンコやシッコが汚くないなら、仔犬のシッコもウンコも汚くないだろう。

この毛、切るもんではないのでだろうなあ。

と 思いながらも、凛の実家の爺ちゃん(人間のお父さん)に聞いたら、散髪するということだった。
実家の実の父ちゃんと母ちゃんはペットショップでしてもらっているそうだ。

オチンチンの毛の散髪って なんか聞いただけで笑えてしまうが、一体あの長い毛は なんのために生えているのだろうか。
そういうことは ミニュチュア・ダックスの飼い方の本には載っていない。2冊参考書を買ったが、どちらにも載っていない。

そういうことこそ載せておいて欲しいなぁ とボスは思いながら、じっとしていない仔犬の毛を 間違ってオチンチンを切らないように、そしてできるだけ筆の ようになるようにと 苦戦しながら、カットした(^^)

筆のようでなければ 成犬の場合(雄に限る)、シッコが飛び散るそうだ。 将来に不安がないでもないボスである。

vol.3

 初めての仔犬同伴のロングドライブで緊張疲れの「ひとり」と、親元から引き離された小さな「いっぴき」は、とにもかくにも引っ越しがすんだ。

 ボスはミニュチュア・ダックスフンドの飼い方の参考書を読んで、事前に勉強をしていた。参考書では、仔犬を連れて帰ったら、すぐさまペット・シーツを敷 いたサークルか、ゲージに入れることと書いてあった。移動中はオシッコを我慢するので、オシッコをする場所に導くことが大事らしい。

 サークルに入れられた、昼食抜きの凛太郎は水も飲まず、ご飯も食べない。疲れと緊張が、よほど激しかったのかもしれない。
 新前のボスは、水も飲まないのが心配。

 わずか、1ヶ月と20日のワンは、サークルの外に出しても、足取りもふにゃふにゃと、 実家で見たようには動かない。ヨタヨタと歩く姿は、高齢犬のごとしだった。動く範囲もごく狭い。最も2カ月に満たないワンは、そんなものかもしれないが、 ボスは仔育ての経験がないのでわからない。

 ボスもあれやこれやと胸中は不安である。ワンも心配そうな、疑りぶかーい目で、こちらをみている。あまり鳴きもしない。

 夜になった。遅い時間にやっとご飯を食べてくれた。ボスは一安心。

 実家の人間のお母さんからは、今晩は鳴くかもしれません と伝えられていたが、第一夜は夜鳴きをしなかった。

 ボスは安心。鳴かないええ仔なんや、と大安心。ボスは仔持ちになった祝い焼酎を飲み、酔っ払って幸せに眠った。でも、それは、単に仔犬が疲れきっていた からだけだったということを翌日知ることになる。

 翌日も、ご飯はあまり食べないが、新前のボスとワンは、大過なく平和に1日を過ごした。二人して日向ぼっこなどをし、それなりに幸せに過ごした。とボス は思っていた。  それは夜中に始まった。


 午前1時に凛太郎に「おやすみ」を言った瞬間から、鳴き始めた。
『昼間鳴かないで、なんで今ごろ鳴くねん』と、ボスは、胸中不快であった。ボスは育児と家事でヘトヘトである。
 そのうち疲れて泣き止むだろうと思っていたのだが、敵もさるものなかなかのもの。 小さくてもツワモノである。延々と1時間半鳴いている。寝られたものではない。ワンワンと鳴くのでなく、実に切ない哀調で鳴くのである。

 実家の人間のお父さん(以後、爺ちゃん)から、せつない声に耐えられるかどうか、知らん顔ができるかどうかが、今後のポイントというアドバイスがあっ た。ボスはアドバイスを守って、ただじっと鳴き声を聞いていた。闇夜をつんざく、高音域のせつなくて、哀しい鳴き声。寝られん。
 大音量で泣き叫んでいる。ワンワンではなく、キューンキューン キュゥンキュゥン クーンクーンのバリエーションだ。小さいから まだワンワンと鳴けな いのだろうかなどと考えるボス。でも、そんな呑気に聞いていられる声ではなかった。

 聞くものを罪悪感に落とし入れるような声。

 この日の鳴き声の趣旨は多分こんなんだろう。
『さびしいようー』『出せー 出せー』『おかあさーん、おとうさーん』
『こんな冷たいヤツに飼われるのはイヤだーイヤだー』

 延々1時間半、何とも言えない、せつない声を聞きつづけたボスは、夜中の2時半についに観念。凛太郎のもとに行き、彼をじっと見る。

 カラダ全体を震わして、声を絞り出している。目が何かを訴えているように見える。

 抱いてやらずのはおれない。

    やさしく やさしく 抱いた。

 抱き始めてからも、カラダを震わせてクンクン、キュンキュンと鳴く。しばらくそうしていたら静かになった。ボスは安心した。

 「凛太郎 おやすみ」と言って、ボスが寝床に立ち去ろうとしたその瞬間から、また切ない、切ない鳴き声が始まり、限りなく後ろ髪が引かれる。
 心を鬼にして、しかし、大層眠いボスは、少々腹もたてながら、実に複雑な心持ではあったが、知らん顔を決めこんで寝床に入った。

 午前3時まで鳴いていたが、やがて鳴き疲れたのかあきらめたのか、ボスが疲れて寝入ってしまって聞こえなくなっただけか、定かではない。睡眠不足の夜が あけた。

 早くもボスは腰砕けぎみである。こんなん毎晩続いたらどないしょう。ちゃんと育てられるやろうか。育児ノイローゼにならへんやろか。

vol.2


 凛太郎の継母(ボス)になることを決心して数日後、生家に行って初対面をした。
その時の凛太郎は生後1ヶ月くらいで、両手に乗るくらいの大きさ、顔も耳も普通の仔犬だった。
 この顔が、ほんまに長く伸びるのか、この耳がほんまに長くなるのだろうか。なんとなく不思議な気持ちだった。

 引き取りに行った日に、その顔は早くも少々とんがりぎみ、耳も大きくなり、ミニュチュア・ダックスフンドらしい顔と耳の持ち主に変貌していた。

 男らしいお母さんは、ブラック&タンみたいだった。そのしっかりした足は、まるで地球を抱え込む様に立ち、番犬としての役目を果たすかのように吠えてい た。
 美人のお父さんは、黒っぽいこげ茶の入った茶色で、スラッと短い足。人懐こい。初対面の私にお腹を見せる。耳の毛がソバージュみたいに美しい、薄いク リームがかった茶色のキレイなお姉さんも、お父さんにならってお腹を見せてくれた。

 一緒に暮らし始めた凛太郎をしげしげと見ていたら、どうも体型はお母さん似だ。早い話が足はO脚、体型は逆三角形型。上半身がしっかりしている。毛色は お母さんとお父さんのミックス。顔がなんというか。一言では語れないので詳しく書こう。

 まず、額が富士額というか鉄腕アトムというかミッキーマウスというかハート型というか、毛色の変わるところが、絵に描いたように美しいハートの上部を思 わせる。
 目の上には人間の眉毛のように濃い茶色の毛が一筋、目頭と目の真下には黒に近い毛、目尻には濃い茶色の毛が少し、それらの濃い毛の縁に、グラデーション のように一段階薄い色の毛が生えている。
 これらの毛が、凛の目を歌舞伎役者の隈取みたいに見せる。
 鼻の上には、噛みジワのような二筋の濃い茶色の毛、顎にはヒゲのように黒い毛。

 このため、仰向けに寝ていたら、口元が閉じているのに「ひひひ」と笑っているように見える。
 目の周りが歌舞伎役者の隈取みたいなので、寝ていても、目が開いているようにも見える。

 鼻筋の線状の濃い毛のせいで、噛みついていないのに噛みついている顔に見える。

 かなりユニークな顔でボスは将来が楽しみだ。
 今、歯が生えてきてこそばいのか、何にでも噛みたい盛り。この顔でおまけに白目を見せて、噛みついている姿は幼いながらもなかなかの形相である。ちょっ と恐かったりもする。

 しかし、かわいい。噛みついている時の顔は悪魔にさえ見えてくるが、仰向けに寝て、耳が床に広がると、その可愛さは、ぬいぐるみよりも、もっともっと可 愛い。天使みたいにかわいい。思わず顔に笑みが広がった。
 同じく仰向けに寝たままで、その短い両手をひょいと曲げて寝ている姿(人間がお化けを表す手の格好)は、かわいくてユーモラスだ。初めてその姿を目にし た私は、思わず声をひそめて笑っていた。

 なぜ声をひそめたかというと 凛が寝ていたからである。ボスは優しいのだ。



                vol.1

 今は亡き、猫の大亮に、昔誓ったことがある。
あんた以外の猫はもう飼わない。化け猫になっても一緒に暮らそうと。舌の根が乾いたので、猫ではなく犬だからいいだろうと自分に言い訳し、犬と暮らすこと になった。

 凛太郎と名付けしワンはミニュチュア・ダックスフンドである。我が「紗夢ハウ巣」にやってきたのは7月17日。凛太郎の生家は京都、祇園祭の日である。
 京都まで迎えに行ったその日は梅雨の間の晴天だった。 初めて対面した凛太郎の母は男らしく、父は美人だった。 凛太郎が私を見る目は「うたぐりの眼(まなこ)」であった。

   その目が喋る。

『こいつかよ 僕を引き取るのは 大丈夫かな。心配だー』
そんな目である。私も子育ては初めてなので、心配している。
『凛太郎キミの心配は当たり前だ』 と心でつぶやく。
  輸送手段として、私はあれこれ考えた。ボスとしての最初の仕事だ。生後1ヶ月と20日ならダンボール箱で十分であろうと思ったのだが、その目論見は脆く崩 れ去り、わずか数十秒で彼は箱から這い出す。 ネコでなくてもよじ登れるのだ。
 車を止めて思案。手作りの移動ゲージも車に積んでいたのだが、まだ細かいところが未完成だったので、ダンボール箱ごと、そのゲージに凛太郎を移した。す ると予想もしていなかったことがおこった。

  泣き叫びが凄い。
『このバカタレ なにすんねん 親元返せ どこ連れて行くねん 扱いちゃんとせい こないなとこ入れるな!!!』

  罵詈雑言の数々を言っておる。そう思えた。これが耳をつんざく悲鳴のように続く。こら たまらん。 数十メートル進んだだけで、車を止め、今度は箱から出し、ゲージに入れたが、泣き叫びはやまない。
  その小さなカラダから、どないしたらそんなに大きな声が出るねん と 感嘆。同時に、なんとなく穴があったら入りたくなるような 動物虐待をしているよう なそんな気分に陥ってしまうほどの、泣き叫びであった。
 非難がましい悲鳴のような泣き叫びに 車の中ではあるが、思わず周囲を見渡し、あたりをはばかる気分になったボスである。

   とまどっていてもしょうがないので、車をスタートさせた。そして一路青山へ。 だんだんと大人しくなっていったが四肢を踏ん張り、初めての車に耐えている。 ボスの車は軽貨物なのでクッションが悪い。 座席の下がエンジンなのだ。
  凛太郎に気をとられると運転が粗末になる。運転が粗末だと鼻を鳴らす。 鼻を鳴らされると、目は助手席の凛太郎に向く。すると、つい運転が。 これではいけないと思い、大きく深呼吸。私が落ち着くと凛太郎も落ち着いたようだ。

   一刻も早く帰ってやった方がいいとボスは経費を奮発した。京都東から瀬田まで名神に乗る。高速道路では運転も安定し、車の揺れも少ない。凛太郎はスピー ドを恐がっている様子はない。
 信楽からは風も涼しい。くねくねと曲がる大戸川沿いでも車酔いのような素振りはなさそうだ。 アクビはするが、決して寝ようとはしない。足が短いので 立っているのか座っているのか判別しずらかったが、前足は踏ん張っている。
  緊張しているのと、寝たらカラダが振り回されると判断したのか。

『そんなもん寝られるかい。あんた信用してええもんか悪いもんか まだわかるかい』 
てなもんだろう。 そして2時間余り。到着。 ひとりといっぴきは、それなりにぐったりであった。

 さて新前ボスの子育ては どうなるのだろう。