道草探検隊Vol.8】2002.4.19


道草探検隊指令 15日 久多 集合。BAN隊員からのメールがパソコンに着信。
お題は「パ・エ・リ・ア」。アマゴのパエリア。
ルンルンして当日を迎えた。

前回では、絶不調だった隊長もすっかり元気になっておられ、この日は終始オヤジギャグを連発。

今回はパエリアの達人「矢倉名人」が特別ゲスト。ゲストだけど、特別に働かねばならない人。矢倉名人はスペインに1年ほど居住されていたということでパエリアは本場仕込み。「パエリアは向こうでは男の料理」とおっしゃる。サフラン水、パエリア大鍋2個等を持参されていた。でも、川の幸、山の幸でパエリアを作られるのは初めての模様。私は、本格的パエリア料理をこの目で見る初めての機会なので、しっかり観察することにした。

久多の春は遅い。行く道で桜の花が、ちょうど旬。現地では「ツクシ」も出盛り。
パエリアには 現地調達のツクシ、シイタケ、タラの芽に、前もってBAN隊員が秘密の花園で入手されたコゴミが山菜で入る。お出汁とトッピングはアマゴ、アマゴ、アマゴ。釣り師はBAN&ほんじょー隊員と推測。
例によってべべタコ到着だったので詳しいことは不明。
アマゴは13尾用意されていた。
トッピング用はハラワタを出して姿のまま、出汁用は輪切り。

活アマゴは久多の清流で釣られたものだ。生きたアマゴの頭に、親指と人差し指でビチッとパンチをくらわし、気絶をさせて料理。BAN隊員、ほんじょー隊員は慣れたものだ。気絶しそこなったアマゴを捕まえてみる。川魚はヌルヌルしているから、つかみにくい。でも楽しい。みつこ隊員は気合を入れて ツクシの袴とり。私は川で洗濯。もとい、川でコゴミ洗い。虫がウニョウニョおられる。
結構平気な私。

山川の幸入りパエリアは、最初にタップリのオリーブオイルに、ほんの少々のニンニクを炒め、油に香りを移す。次にアマゴ、山菜を炒める。炒めたアマゴ、山菜は一度取り出す。空になったパエリア鍋に米を敷く、その上に炒めたアマゴ、山菜。またその上に米、山菜を2〜3回繰り返し、出汁の出たオリーブオイルも忘れずに注ぐ。次にサフラン水を入れる。サフラン水がなくなってくると、またサフラン水を足される。

待つこと 1時間足らずだろうか。この間 みつこ隊員は火の番。矢倉名人の指示に従い、焚き火の火の勢いを保持。大変だったと思う。煙は美人の方に流れると決まっている。実際、そうだった。帰宅後は煙もうもうの焼肉屋や焼き鳥屋にいたごとく、カラダ中が煙の臭いだったのでは。

やがて、米がジリジリと鍋肌を焦がす。良い匂いが漂っている。最後にセリとワサビのアラ微塵切りを振り入れる。本来なら三つ葉もトッピングに飾られる予定だったが、皆が忘れた。

名人の「良し」の声。

さて、今まで書いたことはなかったが、食べる前に儀式がある。この儀式が長い。それで、私とみつこ隊員はよく盗み食いをしていたわけだが。パエリアでは盗み食いというわけにはいかない。

さて、この儀式は何か。写真撮影である。BAN隊員はプロのカメラマンなのだ。みつこ隊員はイラストレーター、ほんじょー隊員はプロの木版画家、隊長は前に書いたがプロのエッセイスト。私はプー。で、恐れ多くも、今回から 探検隊のテーブル・コーデネーターを買って出たが、今回が最終回だったので、実はガックリ。

撮影は、お腹グーグーの身には、待つのがつらい時間だ。出来たてのホカホカが目の前で冷めていく。
BAN隊員の撮影が終わり、やっと食べられる。みなでパエリア鍋を囲む。

「オイシイ」「ウマイ」の声があがる。
矢倉名人も「美味い」。隊長も「美味い」。大、大成功。ひとえに矢倉名人のお蔭だ。加えて、材料調達の釣り師と隊員一丸のチームワークもなかなかのものだ。みんな自分の出来ることを進んでする。隊長は監督、ディレクターといった具合かな。

矢倉名人は普通のパエリアより美味いと評価されていた。「アマゴの出汁は凄いもんだ」と隊長。前に味噌汁をアマゴの出汁で作ったときも美味しかった。
山菜もどれもでしゃばらず、味がひとつのハーモニーとなっていた。お米はちょうどよい加減のアルデンテ。

さて、ひとごこちついたあと、予定では、普通のパエリアが作られることになっていた。隊員のお腹は、みな満足だった。でも、名人が作るオーソドックスなパエリアも食べたい。そこで、矢倉名人に予定通り、もう一肌脱いでいただき、普通のパエリア作りが始まった。
今度の食材は、ニンニクたっぷりに、エビ、ホタテ貝柱、鶏肉。コゴミも入れた。先程と同じ手順で、先に具を炒め、取り出す。米、具、米、具、を繰り返し、サフラン水を注ぐ。手順だけはしっかり覚えた。こちらのトッピングはパプリカ・赤い大きなピーマンを八つ切りにしたものを放射線状に飾った。

結果判定。どっちも美味しかったけど、矢倉名人自らも、山川の幸パエリアに軍配をあげられた。お腹の減り具合の作用も多少あったとは思うが。アマゴと山菜のパエリアはほんまに美味しかった。

やがて、終焉の時が雨粒とともにやってきた。パエリア三昧、道草探検隊・最終回は終わった。淋しいっ!
でも、隊長が「とても楽しかったから また集まろう」と言っておられた。いつになるかはわからないが、またの集まりがあったら、また、このページでお知らせしたいと思っています。隊員の皆様と読者の皆様に感謝です。m(__)m

書き忘れていましたが、この日、私は山菜を切っただけでした。押し売りテーブル・コーデネートは、みんなの好意でさせてもらえました(^^)。
愛嬌が取り柄の食欲猛烈の隊員犬、メグ・ライアン号は、今回は欠席。おかげで皆落ち着いて、料理も食事も出来ました。お留守番 可哀想だったね メグ。でも みんなは幸せだったよ。


【付録】
くるくる巻いているコゴミをほどくと先が「青虫」状態になる。みつこさんは「青虫」を作ってくれた。キャーキャーとご愛嬌で騒いだ。実は私は青虫は手掴み出来るのだ。きっとみつこ隊員もできるだろう。野生?の女性はたくましいのだ。でも私は蛇はアカン。


【ほんじょー隊員の本職のHPアドレス】

   http://web.kyoto-inet.or.jp/people/honjo105/



道草探検隊Vol.7】2002.4.2


3月29日金曜日 道草探検隊が決行された。場所は岩倉。
今回のテーマは「チヂミ」。

私は「チヂミ」を食べたことがなかったので、早速みつ子隊員に問い合わせの電話。
「『チヂミ』ってなに〜」
「韓国風お好み焼きみたいなもんよ」

今回は、エプロンと煎り黒ゴマ入り蕎麦粉蒸しパンもどきを持参して集合場所へ。久々のイタリア時間で到着したが、1番到着だった。
この蕎麦粉蒸しパンは、探検隊に毒味してもらうために持参した。少々塩を奮発しすぎたのだが、おおむね好評のようであった。

隊長は元気がなかった。愛犬が亡くなったそうだ。「僕は絶対病気だ」と言っておられ、いつもの元気がなく、オヤジギャグも少なかった。
でも、食材の野草は、ちゃんと摘んできてくださった。
BANファミリーは慶事があって、ちょっとお疲れぎみであった。
私は 大好きな久々の「道草」で、ひとり興奮していた。

この日の食材は「春の野草」
ハコベ、カラスノエンドウ、セリ、ヨメナ、ナズナ、ヨモギ、ゴギョウ、アサツキの球根。

ノビル以外は、細かくきざむ。韓国チヂミ用の粉に蕎麦粉少々を入れ、ナズナ、ヨモギ、ノビル以外を混ぜ込んでしまい、焼く。いたって簡単。
野草料理なので トッピングにノビル、ナズナを飾る。でも、エビ、豚、キムチなんぞも用意されていたので、トッピングに使う。

この日は みつ子隊員がかなり調子が悪かったので、私は結構はりきった。
「チヂミ」制作もお好み焼き用のコテを手から離さず、しきってしまった。
いつもなら隠れ食いの味見、もとい、盗み食いのつまみ食いをするところだが、一枚焼けたところで、隊員みなで味見をしようと呼びかけ、堂々のつまみ食いとなった。野草の香りがほのかに口中に広がり美味しかった。

調子にのって、焼き続けた。BAN隊員が「お好み焼き」のタネも用意してくださったので、引き続きお好み焼きも焼いた。お好み焼きの実験食で「ヨモギ」をたっぷりのせたものを作ってみた。私はヨモギが大好きなのだ。でも味は好き好きとしか言えない。

この日、当初は「野草パエリア」の計画もあり、食材も用意されていたので、私は土産用に欲しいと言い(どこまでもあつかましい)、親切なBAN隊員が作ってくださった。
なんとアマゴ入りの特製パエリアである。アマゴは1尾だけであったが、全部一人で、いただいてしまった。(もちろん勧められたからである と一応書いておく)全員で試食もし、お土産にもいただき 大いに喋り、大いに食べて、大満足で岩倉をあとにしたのであった。

犬のメグ隊員はネギ類(アサツキ、ノビル)がご法度なので、得意の愛嬌を振りまくも、味見をさせてもらえない気の毒な1日となった。

岩倉は竹林を背景に椿の花が咲き、景色も抜群だった。

次回は 春の久多で「野草パエリア」である。

で、情けないことにというか…。翌日はくたばっていた。


【付録・煎り黒胡麻入り蕎麦粉蒸しパンの作り方】

粉100グラム強(蕎麦粉7対薄力粉3くらいの割合。蕎麦粉100%だと固くなる)に、卵1個、水80ccくらい、ベーキングパウダー1袋・5グラム、煎り黒胡麻を混ぜて、電子レンジで約5分加熱するだけで出来あがる。
黒胡麻の他に、戻した甘納豆や、煮た黒豆、煮た小豆などで甘い蒸しパンを今度試してみようと考えている。



道草探検隊Vol.6】2002.1.27


早春の久多で行われる予定だった道草探検隊が、急遽実行されることになった。
今回は、隊長からの間違い携帯電話からの連絡だった。何故間違い携帯電話かというと、隊長の携帯電話に非通知の電話が入った。で、隊長は前回入った携帯電話の私の番号にかけてこられたのであった。前回というのは1月12日で、隊長からの電話は18日だった。
そこで、「ついで」に道草の予定の変更が告げられ、私はBAN隊員、みつ子隊員に連絡をとる使命を自らかってでたのである。
なお、冬の久多は雪深いため(ほんまは寒いし)、今回も岩倉BAN邸近所で実行しようということになった。

話は とんとんと進み、その日の夜にはBAN隊員から日時の連絡が入った。決行日は25日の金曜日。
な、なんとBAN隊員がお昼を用意してくださるとのこと。
う、うれしい。一人暮しは、何につけ誰かにしてもらう ということが皆無なので、人に作って貰えるのはホンにうれしい。

数日後 みつ子隊員からメールで昼食アンケートが来た。

 またお寒くなって参りました。さて、金曜日の件ですが、おひる、なんにしょ?わしは、もう、蕎麦はいやなんじゃ。で、@にゅうめん Aピザ Bうどん Cそれでも、蕎麦 以上のうちからひとつ選んでください。ま、選んでも、実は、実現するかどうかは、定かではないのだ。おっさんの都合、さじかげんで決まるのじゃ。  ふふふ、だから、何になるか楽しみにしていてね。

おっさん とはBAN隊員のことである。
で、私は厚かましくもAを選んで アンケートにお答えした。にゅうめん以外はBAN隊員の手打ち(ピザも手打ちと言っていいのだろうか)なのだ。

私は やはり かなり「いやしい人間」のようである。お昼が用意されている日は1番のりだ。BAN邸に着くなり、ちょうどガレージにおられたBAN隊員に、発してしまったコトバは「こんにちは」でなく「お腹減った」だった。

優しいBAN隊員は、何かほかのことをされようとしておられたのだが、さじかげんの都合で決定となった「手打ちうどん」を早速茹でてくださった。薬味はネギとショウガ。つけ汁も手作りで美味しい。うどんは釜揚げ風。湯の中に泳ぐおうどんを堪能させていただいた。手打ちだけに、太い、細い、硬い、軟らかい はあるのだが、美味い。食物は人の手が入るほどに美味しくなり、滋養に溢れたモノになるように感じる。

ほんじょう隊員にまた「時間間違ったんですか?」と言われるのでは と内心思っていたが、この日、ほんじょう隊員はお仕事で欠席だった。ほっ。

みつ子隊員と2人でBAN隊員のおうどんをいただきながら、3人で「隊長遅いな。忘れているんとちゃうか」などと笑っていたが、私たちはだんだん心配になってきた。あり得ない話なのだが、あり得る場合も考えられてしまうから怖い。
そこで隊長に電話をすることになった。隊長は、京都と滋賀の途中越え呼ばれる京都の大原付近で、こちらに向かっておられる最中だった。忘れてはおられなんだ。全員ほっ。
電話で隊長が事前に手に入れられた食材を聞き、BAN隊員と私は、岩倉の奥へとその他の食材を摘みに出かけた。みつ子隊員は隊長のお出迎えとお昼のご用意。

初めて訪れた岩倉の奥、森に囲まれたような、清流の流れる田園風景は素晴らしかった。田んぼは、ほとんどが畔もみな刈り込みが済み、雑草と呼ばれる食材を探すのにはちょっと難儀だった。
清流に自生するクレソン、目を皿のようにして、目指す食材、ノビルとハコベ等を摘んだ。その最中にリュウノヒゲの実をみつけ その瑠璃色の美しさに感動。少しだけ、自然の贈り物をお土産にいただいた。

この日のお題は「蕎麦餃子とカラスノエンドウのおひたし」である。最初耳を疑ったのだが、すでに他の隊員のみなさんは「蕎麦の会」の方で実験食を済ませておられ、結果は良好、大変美味しかったそうだ。ただ、道草は自然の食材がテーマなので豚や鳥のミンチは使用しない。そこでアマゴが用意された。今は禁漁期間なので天然ものではない。念のため付け加えておく。隊長を筆頭にBAN隊員、ほんじょう隊員は渓流釣りも得意なのだ。

さて、摘み草で 私の「なまった体」は少々お疲れ。BAN邸に戻ると、隊長も到着しておられ「手打ちうどん」を食されておられた。私もまたお相伴にあずかった。

餃子の「あん」は、クレソン、三つ葉、ハコベ、ハハコグサ、蕗のとう、カラスノエンドウ、菜の花、ノビル、アマゴのミンチである。ノビルとクレソンはどちらもクセが強いのでケンカするのではないかと思ったが、そうはならなかった。
みつ子隊員と私は蕎麦粉の餃子の皮を担当したが、私の作る皮は ほとんど全て、はっきり言えば、まったく丸くならない。ド下手だった。みつ子隊員の励ましのお言葉「包んでしまえばわからない」なるほど、包んでしまえばわからなくなった。

隊長も「包んでしまったら わからないんだなーー」と妙なところで感心しておられた。

茹で餃子か、焼き餃子かと 意見がわかれたので両方作ることになった。このへんは、BAN隊員とみつ子隊員がしてくださった。私はどちらも美味しいと思ったが多数決では「焼き」に軍配があがった。「あん」の味付けはみつ子隊員が魔法を使われた。いずれ明らかにされる日がくるが、それまでは探検隊機密事項である。

カラスノエンドウのおひたしの食感は、人参葉と非常によく似ている。早い話が繊維質。味にクセはなく、カツオ醤油がけとマヨネーズ味と両方試したが どちらもイケるモノだった。私はカツオ醤油がけの方が好き。これを読んで試される方がおられるなら、今頃の季節の若い芽が良い。大きくなったら新芽だけを摘まれた方が良いと思われる。

そうそう、この日の試食では、隊長は「うまいか」と聞く前に先に食された。そして「苦い」と叫ばれた。蕗のとうを入れ過ぎたと悔いておられた。「苦いのが苦手」の隊長を実際に見た瞬間だった。

ところで、自然の苦味やクセのあるものが苦手のお口は「お子様口」なのだそうだ。ちなみに、ほんじょう隊員はヨモギが苦手である。やはり「お子様口」なのだ。熟女?(みつ子隊員と私のこと)にかかれば、青年も隊長もボロカス。隊長は、きっと舌の苦味を感じる部分が敏感なのだろう。さしずめ私のお口は「いやしんぼ口」だ。

「人生と山菜は苦いもの」
この日の私は、食べ過ぎで「人生は苦いもの」となってしまった。
蕎麦餃子は、これ以上食べないほうがいいという自分の境界線を我慢できないかった。とっても美味かった。正直に白状すると、餃子が出来上がる直前に、お菓子も食べていたのだった。自業自得である。しかし、私の胃が 食べ過ぎに対応できた記念すべき日であったかもしれない。だが、何事も腹「7」分目くらいの「ちょっと控えめ」が良さそうである と つくづく思った日でもあった。

【隊長のひとりごと】

僕が「うまいか」と聞くのは、もう40年も食べているから、味を知ってるからなんだ…。ぶつぶつ


隊長は、知る人ぞ知るという有名な方であった。この日の雑談で知ったことだが、「ヤフー」を使って本名検索をしたら、いっぱい出てくる ということだった。早速検索してみたら58件も出てきた。読んでいたら、高名なお方様だったのだ。その隊長相手にボロカスにかつ 親しくお話をさせていただけるのは 隊長のお人柄ゆえだ。



道草探検隊Vol.5】2002.1.6


2001年12月20日、みつ子隊員からメールが来た。

りょう様
 例の2人が、ぼそぼそきめた日が、27日だったよぉ。なんかお題は冬いちごとか、くるみらしいから、おケーキみたいなもんになるらしい。完全に3時のおやつコース。その前 昼は蕎麦を打つ気らしい。

例の2人とは隊長とBAN隊員である。
お題を読んで なぜか ゾワーーー。まさか、イチゴと蕎麦粉まぜてケーキとかしはるのちゃうやろなー。あの2人やったら わからんしなぁ と私はひとりごちた。蕎麦粉とイチゴでは味の想像ができん…。

そうした不安を抱えたまま、当日になった。集合場所は岩倉のBAN邸。車中でバンドウサラヤシキという言葉が何故かアタマをよぎった。ぶ、不気味だ。

な、なんと この日 1番到着は私であった。ますます不気味。BAN隊員はすでに、蕎麦を打っておられた。私も蕎麦打ち体験をさせてもらった。意外に難しくなかった。といっても、ほとんどBAN隊員の手取り足取り(足は使わないが)指導だったので、自分が打ったとは言えない。おまけに切るのが下手で、かなり太く切れてしまい、言うならば「蕎麦きし麺」のようなものを想像していただくといいかもしれない。蕎麦相手に苦戦中のところへ、ほんじょう隊員が登場。

開口1番
「あれぇ、りょうさん 時間間違えたんですか?早いじゃないですか」ときたもんだ。
くそう と心の中で思いながらも返す言葉はなし。いたしかたない。読者の方はご存知のように、いつも集合時間を大幅に遅れるイタリア時間の私なのだから。
この日は、年内最後の心療内科の診察日だったので、少々努力して、早い目に病院の行き、受診後そのまま道草探検隊に参加したから、たまたま早く着いたのである。

ほんじょう隊員は「じゃあイチゴ摘んできます」と出掛けていかれた。BAN隊員とほんじょう隊員はご近所なのだ。

この「イチゴ」と呼んでいるもの、正式名は「冬イチゴ」、バラ科の常緑小低木。山歩きをなさる方は良くご存知と思うが、この季節、道端に冬イチゴ鈴なり状態を見かけられる方も多いと思う。私も裏山散歩の時に、道々、この森のご馳走をいただきながら歩いている。そのまま食べても十分に美味しいのだ。
ただ、私が歩く道は、犬の散歩道でもあるから、オシッコかかってるかなぁ なぞと一抹の不安がよぎらないこともないのだが。

さて、ほんじょう隊員がイチゴを摘みにいかれている間に、腹減らしの私を気遣い、BAN隊員が「蕎麦茹でよか」とおっしゃってくださった。ありがたや。

打ち立ての蕎麦の美味しいこと。みつ子隊員が本ワサビと辛味大根をおろしてくださり、私は、ほとんどお客様状態。実は前夜が3時間睡眠という かなりの睡眠不足で、この日は、先ほどの蕎麦打ちで体力終了のような状態。でも、美味しいものはお腹が喜ぶ。本当に美味い。
BAN邸の居心地のよいリビングで美味しい蕎麦をいただき、ほどよくお腹が満足したところに、ほんじょう隊員が帰還。ほんじょう隊員のお子様たちも冬休みだったので、パートナーの多恵子さん、娘さんの彩音(あやね)さん(8歳)と香澄(かすみ)さん(5歳)にも召集がかけられた。

そこへ隊長が到着。私の切った蕎麦をぼろくそに「なんやこの蕎麦は太い」なぞと言われながらも「美味い」と言いながら 隊長も舌鼓を打っておられた。

さて、全員お腹が満足したところで、この日のテーマ「イチゴ」をどうするか。隊長はジャム作りを計画しておられた。本も持参である。あっぱれ。
しかし、私とみつこ隊員は「このままで美味しい。へんなことせんとこ」とモンクをたれた。
でも、隊長命令には従わねば。隊長も事前にちゃんと冬イチゴを摘んで持参された。またもや あっぱれ。
隊員一同は、新聞の上で、イチゴソウジの開始。花びらや、木の葉と実を分けていく。手が多いと仕事も早い。美しい名前の小さな人たちも大活躍。

隊長は果実酒も計画しておられ、しばらく姿が見えない思ったら、酒屋で焼酎と空き瓶を手に入れてこられた。隊長はウキウキだ。
香澄さんと隊長、孫と爺様のような組み合わせで、小さな壜の口にイチゴを一粒、一粒 二人して入れておられる姿は見ていても微笑ましい。

香澄特別隊員がこの日のメインテーマ「イチゴジャム」の先生。保育園で作ったことがあるそうだ。先生の指導では、まずイチゴに砂糖をかけて潰す。これを彩音さん、香澄さん特別隊員が担当。

この時点で ほんじょう隊員が、今が一番美味いですよ と声をかけてくださったので、くたばっていた私は、よっこらしょと重い腰をあげて、原っぱへ。

ものすごーーーく、美味しい。2人の天使が「美味しくなぁれ」と きっと心を込めて作ってくれたせいだ と私は密かに思った。そこにいた全員「美味しい」と賛辞。このままで食べよう と意見続出だったが、隊長はどうしてもジャム作り実行の指示。

でも、全部ジャムにはせずに、隊員の意見も受け入れてもらえ、この美味しい状態のまま少しは残しておくことになった。この美味しさは、熟れたブドウにも似たような、熟れた果実が少し発酵したような感じとしか説明しようがないが、とにかく絶品。
ジャム作りは多恵子特別隊員が担当。

みつ子隊員は ホイップクリーム、BAN隊員は「くるみ入りスコーン制作担当」。私は、ほとんど使い物にならないので味見担当。いやいや 少しは手伝った。スコーン生地を緩めにしたものに(ここまではBAN隊員)砂糖で潰したイチゴを入れて優しくかき混ぜた。そう ただ混ぜただけだが、一応手伝ったことを書いておこう。この焼きあがりが、また美味しかったのだ。

隊長は、何故か果実酒の壜を手から離されなかった。

そして、この日の最大の発見はというか、改めて しかと気がついたことは、隊長はまず隊員が食べたのを見て「美味いか?」と聞いてからしか御自らの口に入れらない ということだ。そして、隊長は「苦いのが苦手」だという極秘情報をみつ子隊員から入手。あの「人生と山菜は苦いものだ」という名言をおっしゃった隊長が、苦いのが苦手とは。
いつか チャンスがあったら苦くても「美味い」と味見の報告をして隊長に食わせてみようという密かな計画が私の中に出来上がったのである。うふふふふふ。

さてさて、お待ちかねの試食。切り分けた「くるみ入りスコーン」と「冬イチゴ入り・どっちかというとホットケーキに近い風、でも蒸しパンにも似た感じ」をホイップクリームやジャム、「ジャムになる前の状態」を 好きにのっけて食べる。全員「美味い」の感想。
ここでも隊長は、隊員に「美味いか」と確認してから口に運ばれた。そして「美味い」と満足された。

私は「ジャムになる前の状態」が、この日1番のお気に入り。

年の瀬の道草探検隊は、楽しい楽しい時間だった。

そうそう、『愛嬌と食うだけが取り得』のメグ隊員はこの日も隔離されていたことを付け加えておこう。



道草探検隊Vol.4】2001.11.13


某日深夜午後11時、携帯メールでBAN隊員から出動指令がきた。「あさって探検隊、久多集合。今回のテーマはベジタリアン云々」。しかしメールは途中で途切れていた。「集合時間は何時?」と返信すると、「めんどうだから電話して良いか」という返信が来た。これだけで笑ってしまった。「OK」と返信するとまもなく電話がかかってきた。今回の指令は今日言うて明日でなく、2日前だっただけでもマシかな。

さて、徳島時間とイタリア時間の二人が「秋の日はつるべ落としだから11時には現地に着こう」などと固く誓い合ったが…。

隊長は前日から、滋賀県朽木村のとある場所で炭焼き窯と小屋を造られたそうで、前夜はそこで宿泊とのこと。これを我ら隊員は「お泊り保育」などと蔭でささやいていた。
蕎麦づくり、米づくり、道草料理に渓流釣り、本業、加えて炭焼きとは、ますます隊長は忙しい。

さて、当日、前々夜からの固い決心にもかかわらず、。9時半に出発するつもりが10時となり、途中11時にもう繋がらないかと思って(久多は圏外で電波が届かないのである)BAN隊員に携帯電話を入れたら繋がった。BAN隊員は京都から滋賀への峠「途中越えの」の途中であった。「ゆっくり来たらええし」という優しい言葉。なにせ道中にはクルマが過去にいっぱい落ちたので有名な峠、俗称「なんまいだ峠」もあるし。

さて、お言葉に甘えて、安全運転。
「なんまいだ峠」はいつも緊張するが、この日はあまりの紅葉の美しさに、つい脇見運転しばしば。2日前に真っ直ぐの道で、クルマをガードレールにぶつけたばかりの私であったが…。
幸い対向車もなく、ハンドルさばきを誤ることもなく、無事に現地到着。時刻は12時、当然べべたこであった。予想通り、一番は隊長だった。自宅から久多までは2時間かかることを再確認。それでもこの日は、ささやかな決意をして、途中までは有料道路を使ったのである。しかし、ケチをしてひとつ前の料金所で降りてしまった。わずか4キロで料金が倍になるのだ。倍と言っても410円なのだが。迷った末、200円のところで降りてしまった情けなやの私。

この日の隊員は4名と2匹。ほんじょう隊員は本業でお休み。変わりにと言っては、ほんじょう隊員に失礼だが、BAN隊員とみつ子隊員の愛犬、昭和生まれの老犬、人年齢では14歳、犬年齢では70余歳のポチ号が特別参加。メグ隊員もBAN&みつ子隊員夫妻の愛犬である。

現地では、あらかた準備が整っていたが、まずは、皆それぞれが持参した昼食を取った。何故ならば、過去の探検隊では、ご馳走がなかなか口に入らないという経験からの防御策である。しかし、この日は昼食を満足に取ったことをのちに後悔することとなる。


この日のテーマは暦の上ではしっかり冬なのだが何故か「セリ尽くし」。
隊長やBAN隊員が各々の「秘密の花園」でセリ、タンポポ、クレソン、ノビル、タネツケバナを収穫。まさに春尽くしのような食材である。食材はすでに清流でキレイに洗われ、出番を待つばかりであった。私の分担は「セリを切る」「味噌汁の中にセリを入れる」「ノビルを茹でて三杯酢&砂糖&味噌で和えた」といたって簡単であった。

「セリご飯」は、セリを先に適当に切って、ざるに入れ、塩味を効かせた熱湯の中にざるごとくぐらし、さっと茹でで水気を切り、暖かなご飯と混ぜるだけで出来上がり。いうまでもなく、味見は必ずする。これをつまみ食いというらしい。美味しい!
「セリの味噌汁」は熱い汁の中に切ったセリを入れるだけ。隊長の指令で根っこも入れた。根っこも食べられるとは知らなんだ。この根っこの部分がいかにも「セリ」という味の表現者みたいだ。
あとは「クレソンとタンポポのサラダ」。ドレッシングはBAN隊員がオリーブオイルに三杯酢と塩を「ええ按配」で調合したものの中に、閃きのアイデアでみつ子隊員が誠に鮮やかな包丁裁きで細かく、細かく刻んだノビルを入れた傑作ドレッシングとなった。夫婦の「あうん」の呼吸というものだろうか。
何故、三杯酢かというと、この日持参されたモノの中に酢はなく、あったのが三杯酢だったからである。あるものを使う。道草の常套手段。しかし、これの美味かったこと。

さて、いつものごとく道草天ぷらの登場である。揚げ方は、もちろん隊長。
「タネツケバナの天ぷらは、大層ウマイ」と隊長はおっしゃるのだが、天ぷらにすると、ヨモギやコゴミなど独特の歯ごたえや香りのあるもの以外は、なんだかみんな似たような味に感じる私は味音痴か…。結構舌には自信を持っていたのだが。

タンポポの花の天ぷらも登場、「セリ尽くし」がテーマなので、もちろんセリも。ノビルの根っこのミニミニ玉葱みたいな部分も天ぷらに。これはウマイ。

いよいよお楽しみの試食。ただし2匹は気の毒だが隔離。メグ隊員の食欲旺盛は今更語るべくもないが、老犬ポチ号は少々気性が荒く、噛むのが好きらしい。この日は大変穏やかな瞳をしていて噛むのが好きとは想像できない、とてもかわいい顔をしていた。犬だってきっと自然の中が嬉しいのだと思う。

さて、この日の特記事項は道草料理の全てが2時には出来あがってしまっていたのであった。いつもより1時間は早い。昼食をしっかり取ったことをここで後悔したのであった。
メグ隊員の「食わしてくれーーー」という叫びゴエを尻目に、私たちは舌鼓の連続であった。しかし、哀しいかな、十分には食べられなかった。お腹がそれほど空いていなかったのである

タンポポは苦いということを私もみつ子隊員も十分知っているのでみつ子隊員は「私はいらない」と宣言。しかし、好奇心旺盛な私は、今ごろのタンポポの味はいかに と手を出した。素晴らしいドレッシングのお蔭で、一瞬「苦くない」と口走ったものの、次の瞬間「やっぱり苦―い」と後悔の叫びをあげた。みつ子隊員に大笑いをされた。
「人生と山菜は苦いもの」を信条とされておられる隊長は平気。BAN隊員はタデをそのまま食されるようなお方なので、多少の苦味は平気の平左。

タンポポの花の天ぷらにも手を出してしまった。やはり苦かった。しかし、春先のタンポポよりは各段に苦味がマシである。タンポポは、見つけることさえ出来たら今ごろの季節の方が食べごろだと思った。
クレソンのサラダは絶品であった。めちゃウマ。生のまんまをBAN夫妻特製オリジナルブレンドドレッシングでいただくというシンプルなものであったが、野生のクレソンとのマッチングは素晴らしく その美味しいこと、美味しいこと。

かくして久多での「自然の恵みお食事会」は終わり、今期の解散となった。久多は冬の訪れが早いので、次回は2002年2月の集合予定だ。


さて、帰り道、紅葉に目を楽しませながら、ゆっくり、ゆっくりと帰った。久多・下の町あたりの神社にはそれはそれは美しいイチョウの木が見事な黄色に色づいていた。クルマを降りて、木を見上げて満足。神社の名前も由来も読んだが、忘れてしまった。とほほ。
山中の紅葉は街中に比べ明らかに色が違う。色が生きているというか、空気のせいなのだろうか。ココロが染まる色とでも表現したらいいのだろうか。
モミジがまた美しい。一本の木に黄緑、黄色、そして熟した柿の実のような色とでも言ったらいいのか、決して単純に「赤」とは表現できない色。赤とオレンジ色の間のような、それでいて透明感さえある。モミジの紅葉はあまりに美しくて、時を忘れてみとれてしまいたい。しかし帰らねば。

枯れススキの野原も風情があって美しい。秋の終わりを告げ、来るべき冬を知らせているようだ。

そして少しばかり哀しい風景にも出会った。往路では気がつかなかった山の風景。雑木の紅葉の合間に植林された杉の緑が、そこだけ貼りつけたように不自然な風景となっている。初めて気がついた景色だった。林業の実情はまったく知らないが、何故かココロがせつなくなった。

この日、私は10時出発、18時帰宅という、超超久しぶりに8時間労働?をこなした。
行き先が久多(くた)だけにくたびれた。などとココロの中で下手な冗談を思い浮かべながらも、自然の中で心温まる仲間とのひとときを堪能できた喜びはひとしおであった。
しかしながら、まだまだ体力面の充実は程遠いものがあり、翌日はくたばっていた。


余禄・蕎麦畑 鹿死んだふり事件】(これは隊長からの伝え聞きとみつ子隊員の情報を合わせたものである)

某日、山の食物に困った鹿が、我らが久多蕎麦畑の厳重に張り巡らせた網をかいくぐり侵入。どういうわけか、食べやすそうな端から順に食べるのでなく、わざわざ真中まで行って、蕎麦の芽を食い漁ったらしい。結果、鹿に食われたあとはまるでミステリーサークルさながらの様相。さて、その鹿、逃げる際に網に角をひっかけグルグル巻きになってしまったそうだ。
通りかかったヒトが駐在さんに連絡し、鹿の網をほどいてやったら、てっきり死んだと思っていた鹿が、お礼も言わずにさっさと逃げていったそうだ。鹿も死んだふりをするのだ。この親切な駐在さんに果たして「鹿の恩返し」はあるのだろうか…。




道草探検隊Vol.3】2001.9.5


それは留守番電話のメッセージで始まった。
『突然ですが、探検隊は明日久多に正午集合』BAN隊員からの指令であった。
ほんまに突然や。
しかし、私はまだマシだったということが翌日にわかった。ほんじょー隊員は、当日の昼に電話で『今から探検隊、久多に集合』といった具合だったそうだ。

前日、私はみつ子隊員と電話で相談。長らく「閉じこもり」をしていた私は、いささか健康に自信がない。加えて遠出である。
「行くのやったら、やっぱりイタリア時間でええのかなぁ」
「そうやで。ゆっくりでええで」

さて、当日、心身ともにイタリア時間の沁みついた私は11時44分という時間にBAN隊員の携帯に電話をした。集合時間は正午というメッセージだったが。
「今から行きます。BAN隊員は今どこですか」
「家」思わず笑ってしまった。わはは。
「イタリア時間ですね」
「徳島時間とも言うんやで」
BAN隊員は徳島出身である。ほんまに徳島のヒトは全部そうなのかなぁと心の中で半信半疑の私である。

ほとんど集合時間に出発というテイタラク。久々の遠出であるからして、気負わず、のんびりと運転することにした。失業中なので、有料道路も使わず、ひたすら裏街道を走っているつもりが、いつのまにか国道に出てしまった。今まで2回は裏街道で成功したのに。
方向音痴の自覚の上塗り。か、かなしい。

現地到着はなんと2時前。隊員のみんなに大きな声で「遅ーーーい」と、「よう来たね」という温かさのひそんだ「ののしり」に迎えられた。そんな私に「お昼食べたか?」とみつ子隊員が優しく尋ねてくれた。「まだ」と答えると「先に食べ」と言ってくださる。ありがたい。しかし、猛食欲犬メグ隊員の攻撃を避けて食べることなぞ出来るのだろうか?
みつ子隊員の勧めで、新装なった山小屋の中で食することにした。

この日のテーマは「草づくし」。みつ子隊員は「ヨモギ小麦ぱん・つぶ餡入り」の制作を担当。ほんじょー隊員は火おこしの真っ最中。隊長は指示、指令。ご飯も炊いておられたようだ。メグは窓ごしに弁当を食している私から目を離さない。BAN隊員は七輪の世話と熊笹茶のための笹煎りもしておられた。これは笹の葉の裏についた産毛のようなものを焼くためであるそうだ。隊長がその昔、山人に教わられたそうな。
この日は、いつもより作業が順調のようで、なんか今にも「試食」が出来そうな雰囲気であった。しかし、現実はそんなに甘くはない。


昼食を終えた私に隊長の指令が下る。すでに茹でられたヨモギを適当に切って、炊きあがったご飯にまぜて、塩味をつける作業。このご飯は、あとで「五平餅風」 あるいは「きりたんぽ風」に変身するのだそうだ。いつものことながら、働かざるもの食うべからずの世界であった。

この茹でただけのヨモギを炊きあがったご飯に混ぜて、塩味をつけたものはなかなか美味い。

そして、つまみ食いはいつだって楽しい。

混ぜあがったご飯粒を、すりこ木で適当に潰す。潰したご飯を、隊長がどこかから調達してきた怪しげな棒きれにくっつける作業を、みつ子隊員と二人で行った。二人ともそんなに美しい手をしていなかったが「どうせ焼くのやし、大丈夫」。アウトドアはこうでなくっちゃ。
手を水でべちょべちょにした方が、上手に棒にくっつく。よく見ると、洗ってあるはずの棒に砂が。気にしない、気にしない。あくまでも大らかな二人であった。焼いている間に棒きれからご飯粒が剥がれ落ちるのではないか という一抹の不安は拭いきれなかったが。

「きりたんぽ風ヨモギご飯」の焼き方はほんじょー隊員。焚き火の周りに立てかけた「きりたんぽ」は、火おこしを続けながらの作業なので、時々灰をかぶるがみんなは平気。ほんじょー隊員は少々気に病んでいたが、そのうち「大らか」に変身していくのであった。

この日、ほんじょー隊員は探検隊の隠された身分制度をまっとうし、火方、焼き方、コーヒー挽きと大活躍であった。

BAN隊員がたててくれたコーヒーの味も最高だった。

「きりたんぽ風」は心配していた、棒からご飯がはがれる という騒動もなく 順調に焼けた。

そして、メグ隊員は「きりたんぽ」強奪危険分子と見なされ、哀れ繋がれてしまったのであった。彼女は得意の愛嬌をふりまく作業を取り上げられたのでる。

「ヨモギぱん・餡入り」はダッチオーブンに入れられた。ダッチオーブンの扱いはBAN隊員の得意技である。

いよいよ試食という段になって、珍客があらわれた。蕎麦の会の会計・宿水さん。この方、どういうわけか、蕎麦の会でも農作業が終わり、宴会の準備が整ったころに現れるという得意技がある。この日は別件で出現なさったのだが、あまりのタイミングのよさに開いた口が塞がらない。作った六人分を珍客にも分けるという作業ももどかしく、私とみつ子隊員は一度知ったら忘れられない禁断の果実の行為に走ったのであった。「隠れ先食い」。

「ヨモギぱん」はちょっと固かったが、ヨモギの香りが口中にひろがり、噛みしめるとなんとも言えない味わいであった。
「きりたんぽ風」は醤油で味をつけたが、焼きお握り風の出来あがりであった。隊長曰く、塩と醤油が足りないというご感想であった。私は混ぜご飯だけの時の方が美味しかった。
熊笹茶は、素朴で香ばしく、ウマイ。何杯でもいただけるお茶である。


私は、いつもながらではあるが、どうしても聞かずにいられないことがあった。意を決して恐る恐る、そして、おずおずと聞いてみた。
「隊長は何時に来られたのですか」
「僕は家を10時に出て、例によって山菜を取りながら来たんだ。でも、ここに着いたら誰も来ていなじゃないか」
到着時間を聞くことは、はからずも出来なかったが、今回の1番乗りは隊長であったことには間違いない。「草づくし」の材料もすべて隊長が揃えられた。

探検隊の時の隊長は、「さすが隊長」なのだ。


私事であるが、久多の自然に囲まれた楽しい作業ではあったが、久々の遠出で少々疲れてもいたので後始末を免除していただき、隊長が手ずからお取りになった天然のミョウガをお土産に帰路についた。
往路では見過ごしていた初秋の景色を心の栄養に、ゆっくりと帰った。

稲穂は首を垂れ、田は黄金色である。そこかしこにススキ野が広がる。ススキの穂先はまだ赤っぽいが、やがて金色に変わって行くころに訪れると、またここは格別の美しさだろうと思いながら久多をあとにしたのであった。

そして、そのころには私の閉じこもりや、人恐怖症が少しは改善され、心やカラダももう少し元気になっているかもしれないと思いながら。




道草探検隊Vol.2】2001.7.20
7月某日、道草探検隊員に指令が下った。BAN隊員(ウルトラマンみたいやね)よりメールでの集合指令命令。○月○日10時に京都市左京区岩倉に集合。
前日、隊長からメールが来た。
「僕は集合時間に間に合う様に家を出ます。紗夢くんはどのルートで行きますか?途中で道がわからなくなったら、僕の携帯に電話してください。先導します」
ちょっとプレッシャー。前回の道草探検隊でイタリア時間なぞと書いたものだから、隊長怒ってるんかなぁ。
「BAN隊員が、しっかりした地図を送ってくださったので、いくら方向音痴といえども辿りつけるハズとタカをくくっています」と返信。
さて、当日。
大津から岩倉までは約1時間。私もしっかりイタリア時間に染まったのか、本来の性格か、家を出るときすでに9時30分。間に合うわけがない。アタマの中では、昨日、隊長から来たメールの文面がちらつく。隊長は、はたして間に合うか。隊長より遅く着くのは面目が…なぞと思いながらハンドルを握る。
私は自信のある方向音痴だ。しかし、今日は地図もあることだから迷わないという何故か絶対的な、そして根拠のない自信があった。さりながら 迷ってしまった。2回も…。でも、なんとか自力で辿りついた。しかし、目の前には隊長のクルマがすでに止まっていた。時刻は10時30分。
「すいません 遅くなって」と謝りながらも、さりげなく隊長に聞いた「隊長は何時に着かはったんですか」と。
「10時20分くらいかな。いやー、出る時間が遅くなってしまって」
よかった、やっぱり隊長や と何故か安堵の吐息の私であった。
「地図見て来たんですけど、迷ってしまって」と言うと、
隊長曰く「BANちゃんの地図は自分だけがわかって書いているからヒトはわからないんだよ。久多へ行く地図だっていいかげんなんだから」
「そんなことないですよ。久多にはちゃんと行けましたよ」と自分の方向音痴を忘れて言ってしまったが、あの時も迷ったのであった。そこへ、イタリア時間で通りかかった隊長に見つけてもらって、先導してもらったという過去がる。隊長はそのことをしっかり覚えていた。
「何言ってるんだい。あの時も迷っていたじゃないか。僕が君を見つけてあげて連れていってあげたじゃないか」
そうでした。間違いなく。


さて、今回の探検隊のテーマ食材は、スベリヒユ、イヌビユ、クズ、ツユクサである。スベリヒユは茹でて素麺の薬味、イヌビユは茹でておしたしと炒め物、クズ、ツユクサは天ぷらの予定であったが、途中からオオバコとドクダミ、定番のヨモギも加わった(私事であるがヨモギの天ぷらは大好物である)。これが道草のいいところ。食材が途中で増えていく。クズは新芽のまだくるくる巻いているところ、ツユクサも新芽(花もOK)のところを使う。
いつもの通り、わいわいガヤガヤ、そして時折寡黙に準備を進める。
みつ子隊員は素麺、私はイヌビユ、隊長はスベリヒユ、メグ(犬)は愛嬌と、それぞれの持ち場で奮闘。BAN隊員と今回から加わった、ほんじょー新隊員はクズとツユクサの採集に出かけた。


ところで私とみつ子隊員は、お腹が空いていた。前回は空腹で倒れる寸前までいったから、今回はそれに備えて、素麺が茹だった段階で「隠れ食い」を行った。少々良心は咎めたが。「隠れ食い」はスリルとサスペンスに満ちた禁断の果実の香り…。


BAN隊員とほんじょー隊員が戻ってきた。いよいよ天ぷら。私は揚げ方も勤めた。でも、天ぷらは隊長が一番上手だと思う。
素麺をスベリヒユの薬味で食するのは大変美味しかった。スベリヒユは茹でると少し粘りが出る。イヌビユはひと昔前のアクの強いほうれん草に似た味で、茹で方が少々足りなかったようだ。味はいまひとつ。もう少ししっかり茹でて、水に放ち、アク抜きをしっかりすればもっと美味しく食べられたと思う。
そうそう、今回はコンペントウと子どものころに呼んでいたイヌタデの初食いをした。調理方法は天ぷら。今回は私がお毒見役を務めさせていただいた。花の部分はイチゴのツブツブのような食感で、ほのかに甘いような感じがした。茎はガシガシで食えたモノではなかった。私が食したあと、安全を確認された隊長が食された。
そして極めつきはデザートであった。前日にBANちゃんとほんじょーさんが釣った天然鮎の塩焼きをいただくことが出来た。見事な串打ちはBANちゃん、焼き方はほんじょーさん。隊長とみつ子さんと私は天然モノ、BANちゃんとほんじょーさんは囮鮎であった。つけてくわえて「タデ酢」は、BANちゃんが野生のタデをすり鉢で擦り、酢を加えたという超天然モノという超豪華バンであった。自然の恵みづくし。なんとも贅沢な道草探検隊である。感謝。

さてさて、今回から新隊員が加わり、探検隊の密かな階級制度【大富豪(隊長)富豪(BANちゃん、みつ子さん)貧民(メグ)大貧民(私)】が変わり、私が貧民に格上げ、ほんじょーさんが大貧民となった。バンザイ。探検隊では大貧民がコーヒーミルを挽く仕事にありつけることが暗黙のうちに決まっているのであった。



【道草探検隊Vol.1】2001.6.7


道草探検隊の隊長はクマさん、隊員はBANちゃん、みつこさん、と犬のメグちゃん。
過日、隊長からメールで案内状が届きました。

「○月○日昼前から道草料理遊びをします。紗夢くんは何も持ってこなくてよろしい。当日はヨモギご飯とウワバミソウの味噌汁と根のとろろ、ご馳走とは言えないけれどよかったら来てください。ゆっくりでいいですよ」

ココロうきうき、待ち遠しや。当日はいさんで出かけようとしましたが家を出る時刻は、すでに現場到着が遅刻の時間。

大津から京都市左京区久多まで1時間半ほどのドライブです。しかし、はたと思い出しました。道草探検隊が時間通りに集まったためしがない。隊長はいつも「僕は○時には行っていますから」と言っていても、来たためしがない(隊長の名誉のため、たまには来ておられることを申し添えます)。大抵は申告時間より1時間近くは遅れてこられる。なるほど、道草探検隊という名はここからきているかもしれません。ほとんどイタリア時間です(イタリアの方ごめんなさい)。で、携帯電話に連絡しましたら、やはりの結果。

「BANちゃんが1時間送れる。僕も行く途中に山菜を取っていくから」とのお言葉。ありがたい、食事時間には間に合うと思っていたのが大きな間違いだということは予想されるべきことでしたが、ヒトのコトバをすぐに信用する私は、この時はまだこの間違いに気付きませんでした。

しかし、虫の知らせとも言えばよいのでしょうか。行く道にある最後のコンビニでおにぎり1個と三笠饅頭を2個買いました。時刻は正午をまわっています。お腹もすいてきました。
運転しながら三笠饅頭を1個食べ、虫養いをした私でした。
集合場所に着いたのは午後1時前くらいだったでしょうか。

「隊長が腹をすかせて一人いました」

というのがぴったりの現場状況です。私は着いたらご馳走が食べられると思っていたのに、まだ何も出来ていません。持参したおにぎりで、お腹の虫を押さえなければ、この先何が起こるかわからない。そうです、働かざるもの食うべからずだったのです、この探検隊。すっかり忘れていました。後悔先にたたず。はらぺこの隊長に三笠饅頭をプレゼントし、私もおにぎりをほうばりました。

さて、その後、隊長の車からおろされた荷物を50メートル程先の清流の流れる川辺に運び、隊長が摘んできた山菜を洗っているうちにBANちゃん一行が到着。BANちゃんは、隊長命令で早速アマゴ釣りです。アマゴはなんと味噌汁の出汁になります。ご飯は隊長が作った、竹の器で炊きます。

みんなでワイワイとやってるうちに料理が出来上がりました。メグは一生懸命愛嬌をふりまく、愛すべき大食漢です。うっかりしていると食材を食われます。

できあがった、味噌汁、とろろ、残念ながら予定のヨモギご飯にはありつけませんでしたが、竹の香りの移ったご飯も最高。極めつけは探検隊得意中の得意、道草(山菜)天ぷらです。隊長御自らの手で揚げられました。どれもこれも美味しい。川のせせらぎをBGMに、木樹の木洩れ陽がふりそそぐ下での食事は、コトバでは言い表せない素敵な「とき」です。
一度知ったら、忘れられない至福です。

最後に、この日のランチタイムは午後の3時だったことを付け加えておきます。
至福にいたるには空腹で倒れる寸前までいかなくてはならない ということも。