【記念日・がんのこと】 2001.12.2


人には、いろんな記念日がある。私の記念日は12月1日。

 早期胃がん摘出手術の日だ。 前にも書いたが、昨年の11月15日に勤めていた会社に電話が入り、人間ドックの結果が大変悪かったと知らされ、17日に正式に告知された。
 胃壁組織の生体検査の結果が、グループX「悪性」だった。
 
 医師曰く「治るから言うんですよ」。
 ショックというより、深層心理が防御したのかもしれないが「まさか」というより「きたか」という感じだった。 私自身としては、どちらかというと成人病的な捉え方をしていたかもしれない。今までのストレスが胃潰瘍になり癌になったという感じで、平静に受け止めていた。
 今の世の中、ほとんどの人がストレスにさらされ、汚染まみれ、添加物だらけの食物を食べているのだから病気にならないほうが不思議かもしれない。 ちなみに、私の勤めていた会社は「がん患者」が多かった。

  入院する病院を決め、医師の説明を受けた時は、本当に「幸いな自分」を知った。胃がんでもレベルはいろいろあり、私の場合は進行がんになる前の早期がんであり、医学用語では「Uc+V型」というものらしかった。
 がんの度合いにより、3分の1か3分の2摘出されるらしい。 何が幸いするかわからず、主治医の話によると、私の胃は胃下垂で大変大きく、切除は2分の1ですんだ。胃切除後、摘出したリンパ節は色がいやらしく、十分転移の疑われるモノだったらしいが、検査の結果、主治医が心配されたリンパ節の転移もなかった。

  それを告げられた時、本当は喜ぶべきなのだろうけど、あまりにも空腹だったので、劇的に喜ぶこともなく、いささか先生をがっかりさせたかもしれない。もとより深く悩んでもいなかったこともある。
 「がん」とその現実を不思議なほど平静に受け入れていた。早期ということも多いに関与していたとも思う。 ちょうど、その日の昼食から水だけの食事から、食物を口に入れることが出来ることになっており、先生の報告と昼食が相前後し、看護婦さんが食事を持ってきてくださった時に見せた喜びの方が大きかった。お見舞いに来てくれていた友人に、しこたま あきれられた。飢餓状態だったのだ。

  最近は、早期胃がんは治るものとして ばんばん、本人に告知されるらしい。手術自体も盲腸の次くらいの位置付けらしいと いうことを入院してから胃がん患者さんに聞いた。患者さんたちも みな明るい。みなそれぞれに受け止め、前向きで生きておられるのだろう。
 それでも入院したころは かなり顔色も悪かったらしく、同室の長期入院の患者さんに末期がんかと思ったと、術後大分元気になってから言われた。 今まで十分に我慢したストレスを「がん」という形で、これ以上我慢しないように、病気にしてもらったのかな、なぞと考えたものである。 
 結果的に命の延長をいただけたのだから、ラッキーというほかはない。 今年の1月13日に退院した。喜びは大きく、新しい人生をもらった という感動があった。無垢なココロになっていた。
 しかし、そのあと、あまりにもいろいろなことがありすぎて、すっかりその感動を忘れてしまっていた。 12月1日を迎える前夜に、感動を思い出した。命のことを思い、人生の延長をいただいたことを思うと感慨深いものがあった。
 
  去年、手術を前にして「ひとりでかまわない」という私に、主治医が「手術の報告をする人が僕が必要ですから」と、きっと心細く思っているだろう と思いはかってくださり「お友達に来てもらえませんか」と言ってくださった。手術室から出たあと、私はすぐに麻酔から覚醒し、その日来てくれた友人に「手握って」と言っていた。
 友人は「何、子どもみたいなこと言うてんにゃ」と言いながら手を握ってくれた。胸が熱くなり、涙がこぼれた。今、これを書いていても、心が熱くなってきた。ちょっと胸ツン。涙。
 
  こういう時の何とも言えない気持ちは言葉では語りきれないものがある。術後の涙は、ちょっと照れくさくもあり、涙ををこらえるには腹筋がいり、痛かった。
 痛いと言ってふたりで微笑む。それもまた痛い。きのうのことのように思い出す。 そして、きのう1日。なんだかとても爽やかな気分で朝を迎えることが出来た。改めて「命の延長」をありがたく思い、そう思う自分がなんとなく嬉しかった。
 そして1年に1度「命を思う日」ができたことも、病気をしたからこそなんだ と ありがたい気持ちになった。

  人は、貧乏人もお金持ちも、生まれ落ちた瞬間から「死」に向かっている。そして1日はみな24時間。人間に与えられた平等な条件。どう生きるかが、どう死ぬかに繋がるのではないか と、なんとなく そんな気のする今日この頃。