【しし座流星群・徒然記】 2001.11.27

 11月17日の夕刻、久多からの帰り道、ほそーーい、ほそーーい三日月を見た。三角帽子をかぶった婆(ババ)魔女が似合いそうな月であった。
 その時、何故か今年は ずぇったい「しし座流星群が見られる」と魔女婆・紗夢は思ったのである。 翌日の夕刻にも月は見えた。昨日よりは、少しだけ育っている月。でも やはり魔女が似合いそうなお月さん。本番は今夜半。勝負ぢゃ。
 しかぁし、夜空は一面の雲。夕飯のあと一時間ほど横になり、夜中の体力温存準備をした。午後8時の時点の夜空は一面の曇り空。うーーん。 この夜、私は天の川を見た安曇川方面に行こうと心では決めており、久多の帰りには、おおよその観望地点も決めていた。
  しかし、突如インターネットで検索しようと思い立ち、しし座流星群で検索。ネット情報では、滋賀県では伊吹と信楽が観測地点と出ていた。私の家からは安曇川よりも信楽の方が近い。 信楽へ行こう と心に決めた。
 現地に着いて、曇っていても それでいい。 夜中の12時 鍋で腹ごしらえ。ポット水筒に暖かいお茶を入れ、午前1時、一路信楽へ。空は曇り。前方には鳥取ナンバーの車。こんな夜中に、このクルマもしし座流星群が目的か。
  信楽と決めた時、私の心にはある場所が浮かんだ。MIHOミュージアムである。そこは山の中腹で空が開けている。大戸(だいど)川沿いのくねくねした道を走る。どこかで右折せねばならないのだが、夜道ゆえわかりづらい、おまけに暗い。
 きわめつきの自慢できる方向音痴。目をこらして安全運転。 間違わずに右折個所を発見、上出来。ものの数分も行かぬうちに「カモシカ」に出遭う。
 つい先日までカモシカと奈良の鹿の区別が出来ない私であったが、間違いなくカモシカである。 カモシカは礼儀正しくというか道路交通法にのっとり、道の端をトッ トッ とゆっくり歩いておられた。クルマに驚くという風もなく、一瞬クルマを止めてご挨拶をと思ったが、現地到着午前2時の目標があったので、挨拶はやめておいた。
 そこからしばらくして今度は狸に出遭った。狸は車線の真中におられたが、私はゆっくり走っていたので、交通事故は避けられた。狸殿は、こちらが止まったのを確認してから立ち去られた。
 
 さて、現地到着。 街灯照射で思ったほど暗くなく、まだ曇り空ではあったが、雲の切れ目が出来ていた。見えた。流星。1つ、2つ、3つ。そこに30分もいただろうか。 また、心に浮かんだ。 そうだ「陶芸の森」に行こう。あそこはここよりも空が開けている。
 確かに空は開けていたが、明るい。美術館や公園があるから街灯がいっぱい。しかし、夜空の雲は一掃され、見事な星空に変貌していた。ここには数台のクルマがすでに停まっており、観望者もちらほら。 私は、勝手知ったる場所なので、上へ上へと歩いていった。 誰もいない美術館の付属施設の橋に陣取り、空を眺める。貼るカイロ、靴下3枚、防寒具、長靴、磁石、装備は万全。
  流星はアッという間に流れていく。うっかりしていると視野外で流れている。1時間もいただろうか。首がくたびれてきたので、とうとうコンクリ−トの上に寝転がった。さすがに冷える。時刻は午前3時。 またまた、心に浮かんだ。 そうだ朝宮方面に行こう、あそこから峠を越えて帰ろう。
 
  朝宮は一番観望に相応しかった。 道路沿いにクルマを止めて、車の中からもいっぱい見える。次から次へと星が流れていく。私はひとりで「すごおい」という声を連発。 さて、帰り道は、はっきり言って怖かった。

 今、都市地図で調べると国道307号と422号を通って帰ってきたようなのだが。街灯はほとんどない。ライトをずっとハイビームにして走っていた。 方角的には西に向かっているのだが、夜空には流星がまだ見える。しかし、そんなに余所見をしている余裕はない。暗いし、せまいし。  昔、市民ランナーだったころ、この峠を2本の足で走った(歩くよりちょっと速いくらいで)ことはあるのだが、古い記憶である。 ライトに照らされて、金色に光る目。さすがに信楽。畑にまたもや狸さん だったと思う。 
 しばらく行くと、バックミラーにオレンジの点滅がボワッボワッと写っている。暗い、暗い道で、通り過ぎたところにオレンジの点滅なら気がつくはずなのであるが…。振り向いたら、何もない。さすがにコワイ。
  そこからは 声を出して音痴をひとりでさらけ出して運転した。だいたい、全部の歌詞を覚えている歌などほとんどないから、全部中途半端なのだけど、声を出してなおれん という感じだったのである。
 
 予定では 厄除けで有名な立木観音さんのところに出るはずであったが、とうとう方向音痴を発揮してしまい、自分がどこを走っているのかわからなくなった。本来なら、瀬田川を右手に走る予定だったのが、左に見て走っている。瀬田方面と橋があったので、渡ったのだが、瀬田川だと思っていたのが、実は大戸川だったようだ。 だんだんわかってきて、最後は有名な「瀬田の唐橋」を渡ることが出来たが、狸に騙されたのかなぁ という思いが少し。騙すんやったらアベックにせい という思いはたくさん。

 無事、アパートに到着。駐車場でオマケの流星も見せてもらった。 20日の毎日新聞の朝刊「余禄」に 、しし座流星群と名づけられたかがり火、33年周期で太陽をまわるテンペル・タットル彗星の軌道を地球が横切る時に、撒き散らされたちりが大気に衝突して、燃えたものだそうだ。英アーマー天文台のデビッド・アッシャー博士は、テンペル・タットル彗星のちりの帯に着目した。ちりの帯は年毎に異なる。博士はコンピューター分析の結果、19日午前2時31分ごろに1699年の帯、同3時19分ごろに1866年の帯が地球を横切ると考え、しし座流星群の大出現を予測した。日本の天文学者の予測はせいぜい1時間20個だった。アッシャー博士の圧勝であった。 と掲載されていた。
 
 ありがたがって、流れ星と思ってみていたが、302年前と135年前のちりの燃えたものを見ていたのかと思うと、あんまりありがたみがなくなってしまった。でも、302年前と135年前のちりが燃えたモノが、50分差で何故見られるのかが不思議で、不思議で。わかるヒトにはわかるのだろうが。
  今回のような大規模流星群の次回出現は30年後くらいらしいので、生きていたら76歳。  今回見られただけでありがたや。宇宙に感謝!であった。