【蕎麦の会・徒然記】 2001.11.21


8月のお盆過ぎに種蒔き、10月半ばに蕎麦の花のお花見、11月10、11日に刈り取り17、18日には、蕎麦の実落とし作業が行われた。

ずっと調子が悪かった私は、作業には一度も参加していなかった。何もしないまま、そば粉の分配を受けるのも気がひけるし、このところ、お薬が効く日も微増し、寝られる日がほんの少し増えてきたこともあり、ちょっと元気が出てきたような気分だったので「蕎麦の実落とし」作業に参加してみた。
これは別名「蕎麦叩きの刑」とも呼ばれ、ストレス解消にはうってつけということで参加者が募られる。

さて「蕎麦刈り」作業は、かなり悲惨な状態だったらしい。道草探検隊のみつこ隊員も蕎麦の会の会員で、その実況報告は、
【日曜の蕎麦刈り、パスで正解だよ。正午少し前に着いたんだが、うーん先が見えない状態。泊まりぐみの屈強なおっさん達が、今日中に刈って干せるんか、と悲壮な顔。ま、それからぼちぼちきた援軍ほんじょうファミリーもがんばり、無事できあがりました。 途中いっそ、鹿がもっと食べていてくれたら…の声もあったが。】というメールが来た。

後日の会長(道草探検隊長)談によると、ほんじょう隊員のおかげで随分助かったということであった。何せ「蕎麦の会」は高齢者集団なので、ほんじょう隊員のような30代は「若者」なのである。若者パワーはありがたい。

「蕎麦の実落とし」はなかなか楽しいものであった。刈り取られ、干してある蕎麦の実を棒で叩いて、ただ、ひたすら叩いて叩いて 茎から実を落とすという、いたって単純な作業である。それを延々と繰り返す。シートの上に好きなように座り、木魚を叩くみたいに、日ごろのストレスを発散したり、無心で叩いたり。
この日も「若者」の援軍参加があった。しんご会員が水泳クラブの知り合いを引き連れてきてくれたのである。若者パワーは、やはり凄い。あっという間に蕎麦の実が落とされていく。翌日は高齢者会員が遠く奈良からやってくるということで、少しは残しておかねば申し訳ないというくらいの勢いで蕎麦の実落としが行われた(実際少しだけ残しておいた)。

さて、昼食時、この日は会長とその仲間、高齢者軍団が丹精こめて育てられたクサヒカリ(抜いても、抜いても負けない雑草に負けてしまった実入りの悪いお米だったので会長がクサヒカリと命名)を炊いたお握りであった。
私は会長から手弁当で来る様にと指令を受けていたので弁当持参であったが。なんか知らんとりまにご飯が炊けていたらしい。きっと援軍のためだったのだろう。優しい会長はお握りだけだと寒いから、暖かいものをと思われた。急遽、会長から味噌汁作りを命じられた。味噌汁の実は、会長が摘まれた「鹿が食べ残したセリ」である。今ごろのセリはやわらくて美味しいのである。

この味噌汁作りで「人間ふいご」が登場した。援軍は若き水泳マンたちである。その中のひとりが、火勢の衰えた焚き火から50センチ程は離れたところから、フーーーッ、フーーーッと静かに長く息を吹くのである。すると、見る見る火勢は勢いづいてきた。目が点になった。水泳マンの肺活量が並ではないのだ。スゲエ!

幸い味噌汁は美味いという評価をえることが出来た。探検隊の成果か。

前にも紹介したが、会計の「宿水(しゅくすい)さん」。本当は「縮酔」と書くらしい。この縮酔さんの特技は前にも披露したが、必ず、必ず、昼食や宴会の準備が整ったところに現れる。この日もまるで計ったように、全てが出来あがった時点で現れられた。こう何回も同じコトが続くと、これは特技としか言いようがない。縮酔さんは、「なぎらけんいちさん」を仏さんにしたような、おだやかなお顔でツルッツルのお肌をなさっているが、十二指腸潰瘍と胃潰瘍を交互に患っておられる繊細な神経の持ち主なのだ と自分で自慢しておらるる。おおそうだ、もうひとつ特技があって女性の名前は1回聞いたら忘れないという。早い話がちょっとスケベなおっちゃんでもあるかもしれない。男性はみんな ちょっとスケベと思っていても間違いはなかろう。

さて、みんなで食事を終え、作業再開。この日、縮酔さんは、まことにたんとお働きになった。去年から会員になった私であるし、今年はほとんど作業に参加しなかっので、縮酔さんの全貌を知る術はないが、こんなにたくさん働いておられる縮酔さんを見たのは初めてであった。明日の天気が心配じゃとココロの中でつぶやく。

会長と縮酔さんは渓流釣りの古い仲間で、言葉の応酬も聞いているだけで面白い。
会長が「まだやるんか」(蕎麦の実落とし)などと軽口をたたかれる。縮酔さんはこれには応じず「あの動くゴミはどうなった」と応酬。動くゴミとは、会長のクルマのことで、これは誠にすさまじいオクルマである。縮酔さんは運転手もゴミだとのたまわれる。

よいチャンスなので会長のクルマを紹介させていただこう。まず助手席というものが見えない。気合と年期の入った4WDに、畑道具、泊り用具、調味料一切、鍋釜、食器など、ありとあらゆるものが詰め込まれている。チェインソーも入っていれば、耕運機も入っている。整然と整理されているようにも見えなくはないが、実は整理されていない。詰め込まれているだけのようである。会長自身がどこに何が入っているか わからないことしばしば。会長は田んぼや蕎麦畑、渓流釣り、道草料理研究、最近は炭焼きにも励んでおられる。加えて本業の取材活動(実はプロのエッセイストさんなのだ)で、あっちこっちにこのクルマで行かれる。

我々はこのオクルマのお荷物のお蔭で、鍋、釜、食器、調味料などに事欠くことなく、多いに助けられており、大層ありがたいオクルマなので、オクルマにも会長にも感謝はしている。しかし、運転席の下から蕎麦の芽が出たというほどの車である。植物が芽を出すにはそれなりの条件がいる。想像していただきたい。ちなみに「蕎麦の芽」は証拠写真をBAN隊員が撮影されている。

話が徒然なるままなのだが、久多にはカメムシが多い。蕎麦の会の会員は飲んべぇが多い。ある時、一升瓶の焼酎を蕎麦畑の前でみんなが飲んでおられたそうな。すでに出来あがっていた酔っ払いばかりが、なんかカメムシの臭いがするなぁと言いながら飲んでおったそうな。ふと気が付くと、一升瓶の中にカメムシがウニョウニョ。どうりでカメムシの臭いがするはずである。ちなみにこの焼酎は、沖縄の「甕(かめ)仕込み」という名であった。甕仕込みだけに カメ仕込み。酔っ払い集団は、カメムシ仕込みの焼酎を飲んでいたのである。この話を聞いた人はみな抱腹絶倒。

日暮れもせまってきて、自分の体力の限界を感じ出したころ、見計らった様に、会長が「帰ったらええで」と優しいひとこと。で、お先に失礼させていただいた。久々の肉体労働とヒトとの交わり、いささかおくたびれの私であったが、少しは体力がついてきたような嬉しい1日でもあったが、まだまだヒト慣れが出来ない自分を知った1日でもあった。