【シャコ】 2001.11.5
シャコとの最初の出会いは、今から20数年前のお寿司屋さんのカウンターであった。その日は、お寿司屋さんのカウンターに座った初めての日でもあった。勤めていた会社のY先輩に連れていってもらったのだ。 貧乏だったので、お寿司といえば何か特別の日に、出前でいただく「盛り合わせ」の並(上中下の下、松竹梅の梅)が、ご馳走中のご馳走だったし(あとエビフライも特別のご馳走だった)、お寿司屋さんの暖簾をくぐることなどないに等しかった。 さて、その先輩が美味しいと薦めてくれたのがシャコであった。初めて見るそのシロモノは美味しいかもしれないが、私の目にはグロテスクそのものに写ったのである。まるで、ムカデかゲジゲジのように。口に運ぼうとしたが、目の玉が真中に寄って、それを凝視したまま手が止まり、結局、口に入れることが出来なかった。後年、それが大変美味なものであることを知るのだが。 ちょっと話がそれるが、この時、先輩に握り寿司は一口で食するものだと教えてもらったが、本人が言うのもなんだが、口がいたって小さく(これは歯科医も認めてくれていると一応書き加えておく)、最近はシャリの握りが小さくなって一口でも食することが出来るが、当時は大きかったので、とても一口では食べられなかった。噛みきれない分厚いイカの握りには大変苦労した。そんなこともあり、値段が時価という札にも恐れ、お寿司にはあまり近づかなかった。後年エビのオドリが大好物となったが、今は高値の花である。 ある日、仕事で尾道へ行ったとき、それは路上で売られていた。まだ生きていてイキがいいのだろうが、トロ箱の中で無数のそれが蠢くのは大変気味の悪いものに見えた。海のものというより虫に近い感じ。インディ・ジョーンズ「魔宮の伝説」に出てきた隠し洞窟の中にいた虫を見てシャコを思い出したくらいである。 しかし、しかし、その偏見は見事にくつがえされた。勤めていた会社の人から、シャコの茹でたものは、それはそれはウマイという話を聞いた。シャコを食するためにわざわざ船で島まで渡って食べた とか言う話を聞くにおよび、勇気を出して、是非食べてみようという気になったのであった。 シャコを食する機会は岡山であった。残念ながら、最初に食べたものは季節はずれだったので、冷凍ものの酢でしめたものであった。しかし、外見からは想像出来ないくらいウマイものであった。 この日から、茹でたシャコを食したいという熱望に取り付かれ、スーパーで見かけると必ず買う。滋賀ではめったにお目にかかれないが、つい先日、淡路産のシャコを見つけた。シャコの一番美味しい時期は桜の咲くころか散るころと聞いた記憶があるが、季節はずれでも、見つけたら買わずにはおられない。398円也。私には少々贅沢な買い物であった。 シャコは茹でて食べるのが一番美味しいと信じているが、ひょっとしたら蒸した方がもっと美味しいかもしれない。カニも蒸すのが一番と地元の人に聞いたことがある。今度やってみよう。さて味は、エビなんぞ足元にも及ばない。カニよりも美味しいと私は思っている。酢醤油で食べると魚屋さんで教わったのだが、何もつけなくて、身だけ食っても十分ウマイ。なんともいえない甘味と芳しいような香りが口中に広がる。幸せの瞬間。 大鍋で茹でて、鋏でジョキジョキと足を切り落とす間もおしく、身を取り出す。シャコはトゲトゲしていて扱う時にうっかりすると結構痛い目にあう。唇に刺さるときもあるが、そんなことはモノともしない。人間変われば変わるものである。 すっかり食べ尽くし、満足した私は ふと考えた。テレビでエビの殻をスープの出汁に使っていた画面の記憶が、脳の引き出しから突如出てきた。シャコでは出来ないものか。 「料理は発想」だと友人の友人が言っていたそうだ。駄目モトだ。やってみよう。 さて、出汁はとったが、何に使うか。そこまで発想は広がらなかった。出汁には一晩冷蔵庫で過ごしてもらうことになった。 翌日、炊きこみご飯を食べたくなったので、油揚げだけを買うつもりでスーパーに行ったら、イカに出会った。家にはコイモがある。そうだ、イカとコイモの煮つけにあの出汁を使おう。これがイケイケだった。ウマカッタのである。 シャコ好きの方がおられたら、是非試していただきたい。殻も立派な出汁になる。 もう実行しておられる方がいらっしゃたらあしからず。他の使い方があれば是非教えていただきたい。 シャコが気味悪い方は、目をつぶってでも 一度ご賞味いただきたい。食わず嫌いは損をするコトが世の中にはたくさんあると思うのだ。 幼少のころの苦い体験から「食えなくなったモノ」もたくさんあるが、ある日突然食べられるようになるモノもある。それが意外に美味かったりするから、今までなんで嫌いだったのだろう と思うこと しばしばである。年齢とともに味覚にも嗜好にも変化があるようだ。 好き嫌いは、個々人の味覚の差というものが確かにあるが、食わぬは一生の損の場合もある と。そんな大層な話ではない。 早い話がただの食いしん坊、美味かったら嬉しいという いたって単純な私のシャコ遭遇物語顛末である。 |