【イメージ 2】2003.7.18

あなたの思っている「ワタシ」とワタシ自身 が 思っている「ワタシ」は 多分違う。
ワタシが思っている「あなた」とあなたが思 っている「あなた」も多分違う。

隣人が思っている「ワタシ」とあなたが思っ ている「ワタシ」は違う。
友人のA子が思っている「ワタシ」とあなた が思っている「ワタシ」もきっと違う。

「ワタシ」に対するイメージはワタシに接す るヒトによって多分違う。

「ワタシ」はワタシのいないところで「ワタシ 」を語る他人がいれば、そこではもっと変化を 続けるだろう。

やがて「ワタシ」の歴史は ワタシの知らな いところで、いろんなデータが書き込まれて いく。

もはや それはただの「イメージ」を越えて、 実体よりも生々しいかもしれない。

こうしてワタシのイメージは一人歩きをしてい く。

そしてワタシはふと気付く。
ワタシの思っている「ワタシ」もワタシが創り あげた、ただのイメージにすぎないのだと。



【イメージ  1】  2003.6.1


 人というものは 常に思考の対象物に何らかしらのイメージを抱かずにはいられないようだ。

 人間関係というのはその最たるものかもしれない。

 自分にとっていい人と思える人が、他人にとっても必ずしもいい人ととは限らない。

 そもそも この「いい人」というのがイメージあるいは幻想にすぎないということに気がついていないのではないだろうか。

 「いい人」と思うのは 自分がこう反応して欲しいというあらかじめ望んでいる通りのコタエをくれる人ではないだろうか。

 逆に「いい人」は「いい人」なりに相手に対して何らかのイメージを抱いているはずだ。

 お互いのイメージがさほどズレていない間は、人間関係もスムーズにいくが、一度でも、自分のイメージと違う行動を「いい人」がとれば、「こんな人ではなかったはずだ」「今までいい人と思っていたのに」「幻滅」と感情は負の方向に働き、いとも簡単に人間関係は崩れ去る。
とても簡単に「好き」が「キライ」に変貌したという経験はないだろうか。